5月8日、ファン待望のおそ松さんスペシャルイベント「フェス松」さんが開催。明らかになったスペシャルイベントの概要は
「フェス松さん 昼の部 ~センバツロスにはまだ早い~」
「フェス松さん 夜の部 ~四銀ロスにもまだ早い~」
と昼と夜の2本立て。今後の展開を予期させるイベント名にアニメ2期への期待もかかります。
そんな大人気アニメ「おそ松さん」から学べることについて、今回もお伝えしていきます。
※シリーズ第1回はこちら(この記事だけでも読めます)↓
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「おそ松さん」の六つ子たちは作中で、人間が持つ「煩悩」の本性を分かりやすく教えてくれています。
そんな六つ子たちの言動を追いながら、このシリーズでは第4回から「煩悩」について解説。
前回は第10話「イヤミとチビ太のレンタル彼女」を通じて、この煩悩のうち「愛欲」の心についてお話していました。
※前回記事はこちら(本記事は前回の続きになりますが、この記事だけでも読めます)↓
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今回は、欲が妨げられたときに起こる「怒り」という心について解説していきます。
※今回取り上げている「イヤミとチビ太のレンタル彼女」が収録された「おそ松さん 第四松」。4月29日に発売、初週で2.4万枚を売り上げ、5/9付オリコン週間DVDランキングで総合首位となりました。
はじまりは一途な恋心だった
ある日お金に困ったイヤミは、チビ太と共に女装をし、「レンタル彼女」業をスタートします。
通りがかったおそ松たち六つ子にノリノリで自分たちを売り込んだ二人ですが、六つ子たちに容姿を散々に罵られ、復讐を決意します。
美女薬を手に入れた二人は美女に変身し、六つ子を誘惑。
女性と手すら繋いだことのなかった六つ子は、イヤミたちが化けた美女にメロメロ、深い仲になろうと血眼になり、貢ぐお金が無くなると、アブない職業に手を染めてまでお金を稼ぎ、デートをしてもらいます。
ところがイヤミたちはついに薬が効かなくなり、元の体に戻ってしまいました。
身を粉にしてお金を稼ぎ、何もかも捧げるほどイヤヨちゃん達を愛した六つ子。ところがその正体はイヤミたちだった…
渇望した愛欲が裏切られたとき、彼らの恐ろしい「怒りの心」が爆発します。
「愛欲」の相手に裏切られ豹変した一松たち
場面は変わり、どこかのジャングルの中。イヤミとチビ太は一松によって頑丈な檻の中に獰猛なトラと一緒に監禁されていました。
一松の後ろには同じような顔に同じような恐ろしい表情を浮かべた兄弟たちが拷問の様子を観察しています。
トラに今にも食い殺されそうな、絶体絶命の状況で泣いて許しを乞うイヤミたち。
そんな二人の目の前で、一松は鍵を取り出してチラつかせます。
一松「鍵、レンタルするぅ~?」
イヤミ「するザンス!」
一松 「10万円」
イヤミ「分かったザンス!」
六つ子たち「あざーっす!」
10万円を支払うことを条件に渡された鍵で、檻の南京錠を開けようとするチビ太。
しかし…
チビ太「チッ…!おい!合わねーぞバロー!!」
一松「あぁ?それオルゴールの鍵だから」
イヤミ「檻の鍵を!!檻の鍵をレンタルするザンス!」
一松「500万」
イヤミ「500!?…わ、分かったザンス!」
一松は人外な笑みを浮かべながら檻の鍵を手に高額なレンタル料を要求します。金額に驚くイヤミですが、命の危機を感じ止む無く500万円を支払うことを認めます。
しかし一松の拷問は止まりません。
500万と口では言いながら、請求書には8兆円の文字が。
一松「その前に拇印もらえるかなァ?」
ザンス「額が増えてるザンスーー!!」
チビ太「分かったから早く貸してコンチキショー!!」
一松「いいから拇印だアアアアア!!!」
普段は部屋の隅で三角座りをし、ボソボソと喋る、一見おとなしそうに見える一松。
そんな彼が怒りから鬼へと変貌します。
検索エンジンに「いいから拇印だ」と入れるとこのシーンの内容が山ほど出てくるくらい、多くの視聴者に衝撃を与えました。
「ゲス一松」という呼び名まで生まれ、Pixiv百科事典さんにも単語記事が作成されています。
アニメ「おそ松さん」第10話で描写された、一松のゲス顔を描いた作品につけられるタグ。
そこで描かれた一松のゲス&ドSっぷりは素晴らしく、
「鍵を10万円でレンタルするも、それは檻の鍵ではなくオルゴールの鍵」
「檻の鍵を500万円でレンタルすると口頭で提示するが、請求書には8兆円と書かれている」
「今にも猛獣に食べられそうな二人を目の前にしながらも、鍵の受け渡し(二人の生死)よりも拇印の要求(契約の成立)を優先」
と、公式隠れ要素の実はM設定はどこへやら、見事なドSコンボを決めていた。
実は一松はマゾヒストという隠れ設定があり、人間バットになるため自らの体を縄で縛り付ける等、なかなかの被虐嗜好を持っています。
そんな一松が、恋した相手に騙された怒りから、一瞬で鬼畜に豹変したこのシーンは、強烈なインパクトを視聴者に与え「ゲス一松」という愛称まで生みました。
「カッとなって」という言葉がありますが、このように「怒り」は、縁さえくればどんな恐ろしいことも、瞬間的に人にさせてしまう心なのです。
私たちの心の中にも一松は住んでいる!?
現実には一松のようなことをすれば警察に逮捕されるので、私たちは腹が立ったからといって、ムカつく相手に拷問をするようなことはしないでしょう。
しかし私たちも、ちょっとしたことにイラッとし、言われたことに一度カチンとくると、もうその一言が忘れられないものです。
怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる (ピタゴラス)
とも言われます。
カッとなってつい言ってはならないことを言ってしまった、冷静な判断ができなかった。
気付いたら後の祭りで自己嫌悪・・・という経験はどんな方もあると思います。
さらに怒りのままに振舞えば、された方にさらなる怒りを生んでしまうのです。
六つ子たちとイヤミのように、「やられたら、やり返す」を繰り返すと、怒りが怒りを呼び、最終的にはお互いが酷く傷ついてしまいます。
一松のように怒りの心を全開に表現できない分、イライラする己の心に悩んでいるという方も多いでしょう。
しかし、怒らない人ってこの世にいるものなのでしょうか?
有名な古典、歎異抄では人間のことを
煩悩熾盛(しじょう)の衆生(しゅじょう)
と表現しています。
「煩悩」とは私たちを煩わせ、悩ませる心のこと。
その中でも特に私たちを苦しめる煩悩の一つが、怒りの心です。
「熾盛」とは、その煩悩が燃え盛っていて、決して消えることのないことをいいます。
「衆生」とはすべての人間のこと。
リア獣イチゲルゲから、モコモコしたゲルゲ部分を剥ぎ取ったらもうイチゲルゲではないように、私たちも「煩悩に満ち、常に燃え盛っている」ので、死ぬまで煩悩が無くなることはありません。
「怒り」も煩悩の一つですので、生きている限り、怒りの心が起こらなくなることはないということです。
六つ子やイヤミたちのような失敗をしないようにするには?
日本史の教科書に必ず出てくる聖徳太子の「十七条憲法」の第十条に、こんな言葉があります。
われ必ず聖なるにあらず。
彼必ず愚なるにあらず。
共にこれ凡夫のみ。
「自分が必ずしも正しいとは限らない。
相手も必ずしも悪いとは限らない。
お互い間違いだらけなのが人間(凡夫)」
という意味です。
争いが起きるのは、お互いに「自分が正しい」と思っているから。
自分の間違いを認めず
「間違っているのは、お前だ」
と相手を責めると、必ず争いになります。
今回ご紹介したエピソードでも、六つ子たちもイヤミたちもそれぞれ「自分たちは正しい」と思っています。
しかしよくよくストーリー全体を見ていると、序盤にイヤミたちを罵ったことが、六つ子たちが復讐される羽目になった原因。
またいかにも怪しい「レンタル彼女・六つ子限定キャンペーン」のちらしを見て、申し込んでしまったのも彼ら自身。
騙して金銭を奪ったイヤミたちはもちろんですが、決して六つ子たちには何の落ち度も無かった訳ではありませんでした。
双方が“自分は悪くないのに、酷い仕打ちを受けた”と思っていることが、惨劇を引き起こした発端だったのです。
私たち人間が、間違いを一切犯さなくなるということは、死ぬまでありません。
職場でも家庭でも、自分が間違いだらけの人間であることを自覚できて初めて、周囲の人を尊重できるようになるのではないでしょうか。
先ほどご紹介した聖徳太子の十七条憲法の第一条には
和を以って貴しとなし
という言葉もあります。
「ともにこれ凡夫のみ」
という人間の実態が分かれば、人との和を大事にできる。
自分も間違いだらけと分かれば、相手の間違いに対しても、「お互いさま」と許し合う気持ちになれるのですね。
怒りからイヤミたちを拷問した一松。
友達がおらず、ネコと戯れていることが多い一松ですが、腹が立ったとき自分にも悪いところはなかったか振り返ることができるようになれば、彼も人間の友達ができるようになるのかもしれませんね。