刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』。
2015年に稼働スタートした『刀剣乱舞』は社会現象となり「刀剣女子」という言葉が2015年流行語大賞にノミネートされました。
爆発的ブームから早3年。
流行の波が目まぐるしい近年の女性向けゲームの覇権戦争の中、薄れることのない人気が注目され、昨年も「刀剣乱舞」が流行語大賞にノミネート。
今年に入ってからも「刀剣女子」がニュースに取り上げられていました。
「刀剣女子」が武士の魂・日本刀に心酔する理由…ブーム拡大、非日常の美しさにハマる
『刀剣乱舞』はゲームの人気もさることながら、アニメ、ミュージカル、舞台といったメディアミックス化も成功を納めてきました。
中でも幅広い層から『刀剣乱舞』が支持を集めるきっかけとなったのが「ミュージカル『刀剣乱舞』」や「舞台『刀剣乱舞』」です。
Blu-rayやDVDが驚異的売上を記録。「刀ステ」の魅力に迫る
「刀ステ」と呼ばれる「舞台『刀剣乱舞』」は2016年に第一作「舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺(初演)」を皮切りにスタートしたストレートプレイの演劇作品シリーズ。
公演はチケットの入手が非常に困難と言われる人気の高さで、映像作品も「義伝 暁の独眼⻯」「ジョ伝 三つら星刀語り」がオリコン週間ランキングでDVD・Blu-ray同時総合1位を獲得しています。
今年発売された「舞台『刀剣乱舞』外伝 此の夜らの小田原」は発売前からAmazonの演劇部門でベストセラー1位に。
10月発売予定の最新作「『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」、9月に発売される「舞台『刀剣乱舞』蔵出し映像集 ―義伝 暁の独眼竜/ジョ伝 三つら星刀語り 篇―」のBlu-rayも同じくベストセラー1位となっています。
筆者は2年以上、原作ゲームとアニメ一色の審神者ライフでしたが友人の勧めで「虚伝 燃ゆる本能寺」を見てから「刀ステ」沼にまっしぐら。
今年夏、京都劇場で初観劇するに至りました。
近年人気が高まっている「2.5次元」作品の中でも「刀ステ」はハイレベルな殺陣に代表されるアクション演出や重厚なストーリーが観客の心を掴んできました。
現在上演中の「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」も深いストーリー構成が大きな話題を呼び、多くのファンによって考察されています。
筆者も観劇後に友人と記憶をすり合わせながら感想をまとめさせて頂きました。
シリーズ全体の伏線回収が見どころの一つですので「悲伝」をこれから初めてご覧になる方には、是非過去作品を見てからお楽しみ頂くことをおすすめしています。
全ての過去作を追うのが難しい方に「悲伝」の前にこの一作だけは是非見て頂きたい!と筆者が思うのが、このコラムでご紹介する「舞台『刀剣乱舞』 義伝 暁の独眼竜」です。
もちろん好きな刀剣男士がおられる方は、推しが出ている作品から見るのもオススメです。
ちなみに筆者はへし切長谷部推しですが、長谷部が出ていなくても「暁の独眼竜」は是非見て頂きたい!と思うくらい深い作品ですので、この感想を読まれて興味を持って頂けると大変嬉しいです。
【ネタバレ注意】見果てぬ夢が政宗を狂わせる「義伝 暁の独眼⻯」あらすじ
「藤次郎政宗……お前もまた、天下を欲するというのか?」
「義伝 暁の独眼⻯」はタイトル通り、独眼竜と呼ばれた英雄・伊達政宗を中心に展開されていく物語です。
西暦2205年。
歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」率いる「時間遡行軍」により、過去への攻撃が始まります。
歴史を守るため時の政府より遣わされた「審神者(さにわ)」は、眠っている物の心を目覚めさせ、自ら戦う力を与える力を持つ能力者。
その審神者の力によって生み出された付喪神が、本作の主役「刀剣男士」です。
1600年、天下分け目の関ヶ原。
刀剣男士たちは時間遡行軍と戦うため、関ヶ原の戦いに出陣していました。
相対する敵は、織豊改変関ヶ原方面 家康暗殺部隊。
華麗に時間遡行軍を斬り伏せていく三日月宗近をはじめとする刀剣男士たちの前に現れたのは、関ヶ原にいるはずのない英雄でした。
鶴丸「あれは……」
三日月「伊達政宗……」
太鼓鐘「なんでだよ?
政宗様は関ヶ原の戦いにはいないはずだろ!
なのになんで!?」
関ヶ原に現れたのは、伊達政宗。
暁の独眼竜が現れるまでの経緯が語られる形で物語は始まります。
時は遡り天正十八年六月九日、小田原征伐。
政宗クラスタならピンとくる、豊臣秀吉の下に遅参した政宗が死装束で現れるエピソードですね。
打首覚悟で参じたことを死装束で示した政宗は豊臣秀吉に許されますが、秀吉が去ったあと、政宗は秘めていた天下統一への野心を語ります。
政宗「本能寺であの方が果てられた時、俺はまだ十六であった。
天下を競うには若すぎた。
もう二十年、いや十年生まれるのが早ければ、信長公に変わってこの俺が天下人になっていたやもしれん
時代を遡り、やり直すことができればどれだけよかったか……」
景綱「ご覧くだされ、この笠懸から見下ろす景色を。
これが戦国の終わりの風景にござります」
政宗「……ならば俺はせめて世に戦があるうちに、戦場(いくさば)で死んでいきたいものよ」
忠興「許さんぞ……それは許さんぞ藤次郎!
共に戦国を生きた俺とお前の義にかけて誓え。
死んではならん。
来たるべき天下泰平の世を生き抜いていくと誓え……
俺もお前も、もう戦人(いくさびと)ではないのだ」
天下人になれぬのなら戦場で死にたいと思う伊達政宗と、友に生きて欲しいと願う細川忠興。
タイトルに「義伝」とあるように、二人の「義」が本作のテーマです。
8年後に豊臣秀吉がこの世を去り、今こそ天下を争う時だと言う政宗に、忠興はこの情勢で天下を取ろうとするのは妄執だと言います。
政宗「……与一郎……天下はやはり見果てぬ夢か?」
忠興「見果てぬ夢じゃ!」
政宗「……どうして、俺はこの時代に生まれたんじゃ……
なぜじゃ!
なぜ、もっと早うに生まれなかった……」
「遅れてきた英雄」と言われる政宗は、時代を遡れるなら人生をやり直したかったと悔やみます。
そんな独眼竜が時間遡行軍の標的に。
物語の最初、自分の使っていた黒い甲冑に政宗は
「我が黒き甲冑よ……お前と夢見た天下は、見果てぬ夢か…」
と語りかけていました。
その声に応えるかのように時間遡行軍は黒甲冑に取り付き、政宗に語りかけます。
「天下はお前を欲している。
信長でも秀吉でも家康でもない、お前が天の定めた天下人なのだ
天下を望め……伊達藤次郎政宗!」
刀剣男士が見たのは「暁の独眼竜」 終わりなき関ヶ原が始まる
「……お前は何者じゃ……俺の妄執の見せる幻か?」
「我はぬしが心の現身なり」
「俺の心の現身?」
「まもなく、天下分け目の大戦がはじまる……伊達藤次郎政宗よ……お前が、天下人となるのだ……」
時間遡行軍が取り憑いた黒甲冑は関ヶ原の戦いが起こる一年前の1599年、再び伊達政宗の前に現れました。
居合わせた三日月宗近たちが黒甲冑と応戦するも、小夜左文字が黒甲冑に挑んで重傷を負ってしまいます。
黒甲冑が消え刀剣男士たちが撤退した後、黒甲冑の言葉に惑わされた政宗は関ヶ原の戦いへの出陣を決心します。
帰還した本丸で主から出陣の命を受けた三日月たち。
出陣先は1600年。関ヶ原の戦いでした。
そして三日月たちが出陣した関ヶ原に伊達政宗が現れます。
「俺は焦がれていたのだ。
炎のように燃え上がりそして燃え尽きた……魔王織田信長の生き様に!
俺はあの御方のようになりたい
……いや、あの男を超えるんじゃ!
俺は信長を超え、天下をこの手に!
それを見果てぬ夢にはせぬぞ!」
関ヶ原に現れた暁の独眼竜は、戦が無い世で生きろと諭してくれた友・細川忠興の刀に貫かれ絶命。
政宗の遺体を抱きかかえるように現れた黒甲冑は、空が震えるほどの咆哮を上げます。
「ダメだ……こんなところで死んでは……
見果てぬ夢などではない……
伊達藤次郎政宗……
お前は天下人になるのだ……」
次の瞬間、刀剣男士たちがいたのは暁の刻の関ヶ原。
黒甲冑が咆哮を上げた瞬間、時間が巻き戻ったのです。
伊達政宗の天下への執念が起点となり、暁の独眼竜が現れる関ヶ原は何度も繰り返されていました。
政宗が家康を討つか、刀剣男士が黒甲冑を倒すまで永遠に繰り返される、終わりなき関ヶ原。
この円環から抜け出すべく、三日月宗近たちは敵と対峙していきます。
伊達政宗が囚われたのは「見果てぬ夢」という人生の落とし穴
「天下が取れねば、生きていても意味がない……
ならば俺は……
この戦場に散るだけじゃ……」
関ヶ原に現れた政宗は細川忠興に討たれる前、こう言い残します。
黒甲冑に唆され「暁の独眼竜」となった政宗は、天下人になることは自分が生まれた唯一の目的と思うようになります。
しかし本当に天下人になることは叶わなければ「生きていても意味がない」ほど大切な夢なのでしょうか。
政宗が戦国の世に躍り出たとき、既に天下人という夢を叶えていたのは豊臣秀吉でした。
秀吉は政宗にとっての「見果てぬ夢」を叶えた人物といえます。
しかし一期一振の台詞でも有名な
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
という辞世の句にあるように、夢の中で夢を見ているような儚い一生が自分の人生だったと最期に秀吉は言い残します。
※一期一振の台詞についてはこちらの記事でも考察しています
秀吉の死後、天下人になった徳川家康も「見果てぬ夢」が完全に叶うということはありませんでした。
天下を取り「江戸幕府」を築くも、政権の安定や後継者の問題への対処など「天下人」を維持するための数多の努力は死ぬまで続き、家康の血と涙の結晶といえる江戸幕府も200年で終わりを迎えます。
政宗たち戦国武将が夢見た天下統一は、一見達成したように見える英雄でさえ、本当に「夢が叶った」といえるのかどうかは疑問なのです。
天下人になるとは、日本という島国の全てが自分のものになるということ。
戦が無い平和な時代と言われる現代日本では、信長、秀吉、家康のような財を権力を築ける人はもうありません。
ある意味、現代では誰も手にできない「夢」を達成したのが秀吉や家康でした。
しかし夢を達成した当人にとって、人生は夢の中で夢を見ているような儚いもの。
「社会的地位を得たい」「裕福になりたい」「有名人になりたい」「幸せな家庭を築きたい」といった人間が求める人生の夢はすべて、これで達成できたという終わりがないと仏教では教えられます。
人に夢と書いて「儚い」と書くとはよく言われる話。
儚く終わる夢ではない、本当に人生かけて為すべきことがあることをお釈迦様は生涯かけて説かれました。
私たちが叶えたいと思う「夢」の実体はすべて「見果てぬ夢」。
どんな大きな夢を叶えても、続かないのです。
秀吉のように最期に自分の達成した夢が「見果てぬ夢」だったと気づくのは、懸命に生きてきた人生というフルマラソンのゴール目前で落とし穴に堕ちるような悲劇です。
いま必死に叶えようとしている夢は本当に叶えるべき夢なのか。
暁の独眼竜は私たちに問いかけているように思います。
★このコラムの続編をアップしました★
※「義伝 暁の独眼竜」の ストーリー紹介はこちらから台詞の一部等を引用させて頂きました。より深く「義伝」を味わえるので、是非読んでみてください!
末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」ニトロプラス