【刀ステ・ネタバレ感想】『義伝 暁の独眼竜』三日月宗近が山姥切国広に言った「伏線」のセリフを考察する

舞台『刀剣乱舞』」は『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とする演劇作品群です。

2015年に稼働スタートした刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』は稼働直後から爆発的人気で、「刀剣女子」という言葉を生むほどの社会現象となりました。

「刀剣乱舞」は原作ゲームのヒットだけでなく、様々なメディアミックス展開でも成功を納めています。

「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」はゲーム・アニメのファンだけにとどまらず、幅広くファン層を広げるきっかけとなりました。

来年公開予定の『映画 刀剣乱舞』には「刀ステ」で絶大な支持を得てきた俳優陣が一部出演することも決まっており、「刀ステ」の注目度はまだまだ上がっていきそうです。

筆者は原作ゲームを始めて以来、へし切長谷部沼に長年沈んでいるゴリラ審神者で、完全2次元人間でした。

しかし友人が観せてくれた『虚伝 燃ゆる本能寺』のBlu-rayでマリアナ海溝級に深い鈴木拡近さん&和田部さん沼に落ち、充実した沼生活(?)を送っています。

大千秋楽を今週末に控えた最新作「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」はシリーズの核心に迫る展開で、大きな話題を呼んでいます。

10月にBlu-rayが発売されますが「今後『悲伝』を見たいけれど、過去作品をすべて網羅するのはハードルが高い」と思っておられる方もあるかもしれません。

刀ステ沼の底にいる筆者は「すべて見て欲しい!」というのが本音ですが、中でもオススメしたいのが「舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」です。

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前回は「義伝」で大きな鍵を握る歴史上の人物・伊達政宗のセリフから、暁の独眼竜となった伊達政宗が囚われた「見果てぬ夢」の本質について考察しました。

【刀ステ感想】『義伝 暁の独眼竜』伊達政宗の「見果てぬ夢」の本質を考察する

今回は「悲伝」での展開に直結する大きな伏線の一つであり、深い人生哲学も学べる三日月宗近のセリフをご紹介します。

【ネタバレ注意】『義伝 暁の独眼竜』あらすじ 問題の多い本丸に悩む近侍・山姥切国広

俺にはもう、あの本丸を纏めることはできないのかもしれない

山姥切国広は悩んでいました。

刀剣男士・山姥切国広の主である「審神者」は物に宿る心を励起する力を持つ能力者です。

物語の舞台は西暦2205年、歴史の改変を目論む時間犯罪者「歴史修正主義者」が率いる「時間遡行軍」によって過去への攻撃が始まります。

歴史を守るため各時代に送り込まれた審神者の特殊能力によって人の身を与えられた刀剣「刀剣男士」たちが「刀ステ」の主役です。

「刀ステ」の主人公・山姥切国広は、備前長船派の刀工・長義作の山姥切長義の「写し」であることに強いコンプレックスがあり自信を持てずにいました。

そんな山姥切は主から近侍という重要な役職を任命され、本丸の仲間たちを纏めようと奔走しますが中々うまくいきません。

皆から弟のように可愛がられている短刀・小夜左文字の様子がおかしいことに気づいた山姥切は、小夜の悩みを聞き出そうとします。

小夜「なにか用ですか?」

山姥切「……俺はこの本丸の近侍だ」

小夜「……はい」

山姥切「だからほら、あれだ。もし、悩みなどがあればいつでも相談に……」

小夜「別に……山姥切さんには関係のないことですから

山姥切「どう接すればいいんだ……?」

人の心配をすることに慣れていない山姥切は接し方が分からず、小夜の悩みを聞き出すことができません。

さらに必要以上のなれ合いを嫌う孤高の存在・大倶利伽羅と、一見饒舌に見えて実は人見知りの歌仙兼定が調査任務で大喧嘩

問題が多発する本丸の状況に、ただでさえ低い山姥切の自己肯定感はさらに下がっていく一方です。

そんな中、本丸の中でも年長者である平安時代生まれの太刀・鶴丸国永は裏で動いていました。

「加羅坊(大倶利伽羅の愛称)と歌仙のことを主に相談してみたんだ。

そしたら主が皆で遠足にでも行ってみたらどうかってさ」

主が提案した遠足で、三日月宗近と二振りだけになった山姥切国広は三日月に本音を打ち明けます。

山姥切「なあ、三日月」

三日月「なんだ?」

山姥切「……近侍を代わってくれ

三日月「……なにを言い出すかと思えば」

山姥切「俺にはもう、あの本丸を纏めることはできないのかもしれない

悩む山姥切に三日月が言ったのは、刀ステ最大の「伏線」

本丸を纏めることができず自信を完全に失い、近侍を降りたいと言い出した山姥切に対して、三日月はこう言います。

三日月「山姥切は少し事を急きすぎているようだ

山姥切「なに?」

三日月「畑というものは難しいものだな

急に畑の話を切り出す三日月宗近。

おじいちゃんの気まぐれな薀蓄のように始まるこの助言は、実は「悲伝」に繋がる重要な伏線です。

三日月「畑の野菜は、早く育ってほしいからといって、水や栄養をたくさんやればいいというものではない

山姥切も畑当番をしているからわかるはずだ」

山姥切「ああ、根腐れを起こしてしまったりして、上手くは育たなかった」

三日月「強くありたいと願うものもそれと同じ、なのではないか?」

山姥切「何が同じだというんだ?」

三日月「今のおぬしは、焦るあまり見当外れな手を打ってはいないか……

山姥切「……」

三日月「畑の野菜たちは、夏の暑さを耐え、冬の寒さをしのぎ、害虫や雨風にも負けず、そうしたひとつひとつの試練を乗り越えて強くなる

俺たちはその手助けをするだけだ。

野菜たちの声なき声に耳を傾け、なにを欲しているのかをわかってやらねばならん。

それが畑を守る者にできる唯一のこと。

そして、一番大切なことではなかったか」

三日月は畑の野菜に本丸の仲間たちを見立て、山姥切は成長途中にある野菜に水や栄養をやりすぎるように、焦って結果を求めすぎていると助言します。

山姥切「……三日月」

三日月「なんだ?」

山姥切「……あんたは何者だ?

あまりにも透徹した三日月の言葉に、山姥切は納得を通り越して不信感を露わにします。

山姥切「あんたは俺たちを……本丸をどうしようとしているんだ?

三日月「俺はただ……この本丸に強くあってほしいだけだ

山姥切「なぜそう願う?」

三日月「いずれ来るやもしれぬ、大きな試練と立ち向かうためにだ

三日月が山姥切に贈った言葉の根底には「いずれ来るかもしれない大きな試練」という先の先を見越した深い理由がありました。

しかし一方で大きな謎も残されます。

大きな試練とは何なのか。

何故、三日月は本丸の未来を託すかのように山姥切のことを心にかけるのか。

三日月の意味深長なこの言葉は、シリーズ最大の伏線となります。

この謎が一気に明らかになっていくのが今年上演された『悲伝 結いの目の不如帰』です

「大きな試練」の正体は是非「悲伝」で見届けて頂きたいと思います。

三日月宗近が山姥切国広に伝えようとしたのは「因果律」という哲学

「……山姥切よ。

まだ焦る時ではない

じっくりと畑を耕し、種を植え、実りの時を待つのだ

本丸で多発する問題を解決できず自信を喪失した山姥切に、三日月は畑の作物に譬えながらすぐに結果が出なくても地道な努力を続けることの大切さを説きました。

実は三日月の話は伏線となるだけでなく、深い哲学思想も隠れています。

すべての出来事には必ず原因があり、時間はかかるかもしれないが自分のやった行いの結果は返ってくる

これは哲学で「因果律」と呼ばれる法則です。

哲学で、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理。

(デジタル大辞泉)

因果律(いんがりつ)とはーーーコトバンク

結果を求めるあまり焦って空回りしているのは、まんばちゃんだけではありません。

私たちも何かを始めると、すぐに成果を求めてしまいがちです。

「どうせ努力しても報われないから」「努力より結局生まれ持った才能がすべて」と言うのは簡単。

しかし「俺は写しだから」と言い続ける山姥切を三日月が変えようとしているように、日々の行いを少しずつ少しずつ変えていくことが数年後、数十年後の自分を大きく変えるのです。

仏教は因果律が非常に徹底されていて、遅いか早いかだけで必ず結果は現れることを「三時業」と教えられます。

善悪の業を、その結果を受ける時期で三つに分けたもの

今の生で報いを受ける順現業、次の生で報いを受ける順生業、次の次の生以後に報いを受ける順後業の総称。

(大辞林 第三版)

三時業(サンジゴウ)とはーーーコトバンク

「業」とは行いのことで、善行も悪行もいつか自分に必ず返ってくることを、一昨年大ヒットしたRADWIMPSさんの名曲「前前前世」ならぬ、「来来来世」のスケールで説かれています。

「舞台『刀剣乱舞』」の作品は、刀から生まれた刀剣男士の姿を忠実に再現するため、刀剣男士役の俳優さんやアンサンブルさん、アンダースタディさん、そしてスタッフの方々が、血の滲むような努力をされた「結果」です。

「刀剣乱舞」を愛するファンに感動を届けられるよう積み重ねてきた努力があってこそ、観客席を笑いと涙で覆うことができるのです。

筆者は幼い頃から体が弱く、水泳や剣道など習い事をやってもすぐに音を上げ一切続いたことがありませんでした。

しかし「刀ステ」を見るたびに、昨日よりも今日、今日よりも明日、より良い自分に変わっていきたいという勇気が湧いてくるような気がします。

【悲伝ネタバレ注意】三日月宗近が言った言葉の意味が明らかに。悲伝で明かされた「結果」

「山姥切国広……きっとできるさ。

おぬしなら、この本丸で起こるやもしれぬ試練にきっと立ち向かえる……

過去ではなく、未来を……

義伝で三日月が言っていた、いずれ来るやもしれぬ大きな試練という「結果」は「悲伝」で明らかになります

山姥切国広が最初に顕現され『舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺』で近侍となる「刀ステ」本丸。

実は三日月は、この本丸が辿ってきた時間を何度も何度も巻き戻していた「結いの目」という存在でした。

本丸の軌跡を何度も三日月がループしていたのは、ある大きな目的があったから。

※『悲伝 結いの目の不如帰』の三日月宗近についてはこちらのコラムで考察させて頂いています

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近が「白」になった理由を考察する(大千秋楽ネタバレ有り)

「この本丸で起こるやもしれぬ試練」は「結いの目」である三日月が本丸を去ることではないかと悲伝で山姥切は推察します。

三日月は何度も円環という輪廻を繰り返し、さながら「三時業」のようにループした先の先の未来にある本丸のために山姥切と本丸の皆を見守り、育てていました。

円環の行く末がいつか変わる「実りの秋」を待って、畑にひたすら種をまいているのが、三日月宗近だったのかもしれません。

現実には三日月が円環していたように、生まれた瞬間の赤ちゃんに戻って今の人生をやり直すことはできません。

過去ではなく、未来を」と三日月宗近が言っているように、未来の自分を少しでも変えていけるのは今の自分です。

大きな成果ほど、地道な努力と様々な困難を乗り越えた先にあるもの。

どうせ努力しても報われない…と思ったときは

まだ焦る時ではない。

じっくりと畑を耕し、種を植え、実りの時を待つのだ

という三日月宗近の言葉を思い出したいものです。

★続編コラムをアップしました★

【刀ステ・感想】『義伝 暁の独眼竜』から考える、小夜が苦しむ「復讐」の意味

※「義伝 暁の独眼竜」の台詞紹介はこちらから引用させて頂きました。 (より深く刀ステの感動を味わえるので、とてもオススメです!)

末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」ニトロプラス