【2019/12/29投稿 ※2020/01/26更新・追記しています】
近年話題を集めている2.5次元舞台の中でも不動の人気を誇る「舞台『刀剣乱舞』」。
昨年夏にシリーズ集大成となる「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」が上演された刀ステは新たな境地に突入しました。
新しい物語の幕開けとなる新作が2019年11月22日からスタートした「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」です。
※「刀ステ」って何?という方はこちらのコラムでご紹介させて頂いています。
【維伝・あらすじ】人気イベント「文久土佐藩 特命調査」の物語を描いていく『維伝 朧の志士たち』※ネタバレ注意
※「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」のあらすじ等は、筆者が2019年12月12日の兵庫公演、大千秋楽ライブビューイングを鑑賞し見聞きした内容をご紹介しています。セリフの表現等に誤りがある可能性がありますが、「戯曲」が発刊されたら修正予定です。
今年夏に上演された「慈伝 日日の葉よ散るらむ」では「悲伝 結いの目の不如帰」の後、新たな本丸にやって来た刀剣男士たちの姿が暖かく切ない物語の中で描かれました。
新作「維伝 朧の志士たち」は「慈伝」とは打って変わり新しい物語が始まります。
公演パンフレットにて脚本・演出の末満健一さんは「維伝」を「第二章の幕開け」と表現。
「維伝」の「維」は、「つなげる」という意味も持ちます。
これまでの刀ステをこれからの刀ステへつなげていくための、新たな第一歩です。
坂本龍馬たち、幕末を駆け抜けた志士たちの心を借りながら、刀ステはまたひとつの扉を開こうとしています。
と仰っているように、さながら幕末の維新のように、刀剣男士たちの新たな物語の幕開けとなる作品です。
「維伝」は原作となる刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』で多くのプレイヤーが参加した人気イベント「特命調査 文久土佐藩」をベースにしたストーリー。
筆者は岡田以蔵のファンであることもあり「特命調査 文久土佐藩」は原作ゲームの中でも特に大好きなイベントで、今回舞台化されたことが何よりも嬉しかったです。
肥前忠広による「入電」によって出陣が決まり、5振りでの出陣になるところやイベント内でのセリフに至るまで、原作ファンは胸が熱くなる展開。
南海太郎朝尊が作っていた「時間遡行軍の死体を使って作った罠」も大変忠実に再現。
これまでの刀ステシリーズの音楽を手がけられてきたmanzoさんと「外伝 此の夜らの小田原」で楽曲を手掛けられた南ゆにさんのお二人による完全新作のBGMにより、南海先生が楽しそうに罠を作る場面も演出されていました。
筆者は「特命調査 文久土佐藩」をかなりやり込んだ審神者ですが、まさかあの罠を実際にお目にかかる日が来るとは思いませんでした(笑)
そして原作ゲームを実写化するだけで収まらないのが「刀ステ」の魅力。
刀ステでは坂本龍馬が登場、刀剣男士たちと巡り合い、行動を共にすることになります。
「文久土佐藩」は既に歴史改変されてしまった後の時間軸である「放棄された世界」で、史実では死んでいるはずの吉田東洋が率いる土佐勤王党が恐怖政治を敷いていました。
そして吉田東洋を暗殺するはずの歴史上の人物・武市半平太、そして「人斬り以蔵」として知られる岡田以蔵が吉田東洋の元で恐怖政治に加担していたのです。
坂本龍馬の佩刀として知られる陸奥守吉行は、せっかく元主に会えたのに
「龍馬、おんしとは……会いたあなかったなあ……」
と屈託のない笑顔とは裏腹な言葉を送ります。
史実では志半ばで暗殺されたと言われる、坂本龍馬の定めを知っているからこその発言。
しかし物語が進むにつれ陸奥守吉行の「会いたくなかった」感情は、「文久土佐藩」の核心を鋭いカンで察知していたことが分かります。
※この後「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」の核心に迫るネタバレがあります!未鑑賞の方は配信・Blu-ray等でご覧になってから読まれることをオススメします。
「維伝 朧の志士たち」の見どころ、文久土佐藩の動く街 目が離せない演出には深い意味が…
「わしが脱藩せんと土佐におったら二人を助けられたんか?
こんなことなら武市さんらを説得して一緒に脱藩しちょったら……!!」
「維伝」の序盤に描かれたのは、史実に伝わる岡田以蔵・武市半平太の死。
岡田以蔵ファンの筆者はまさか刀ステの冒頭で、この師弟の運命が描かれるとは思わず、開演すぐのこの場面でもう涙がボロボロ止まらない状態でした。
以蔵「いやじゃ!死にとうない!
わしはただ、こん国を守るために働いただけじゃ!!
なんで死なないかんのじゃ……!!」
半平太「龍馬……おんしは言うたな
わしらは日の本を守る志士やと……
死んで魂だけになっても、こん国の志士や……」
以蔵「龍馬!!……助けてくれ!!……龍馬ーーー!!」
半平太が史実に伝わる通りの見事な切腹を見せ、狂ったように死に怯える以蔵の首を処刑人が落とした後、坂本龍馬が訃報を聞いた場面が描かれます。
過激化する土佐勤王党と距離を置き脱藩した坂本龍馬は、友として仲間として親愛の思いを抱いていた二人のあまりにも凄惨な最期に、強い衝撃を受けました。
「武市さんと以蔵さんが……?
なんでじゃ……?なんで死なんといかんが?
皆こん国のため思て、こん国を未来につなげるために必死で生きようとしたんじゃ!!
なんでこんな形で死なんといかんがぁ……!
わしが脱藩せんと土佐におったら二人を助けられたんか?
こんなことなら武市さんらを説得して一緒に脱藩しちょったら……!!
いや……
わしは何、阿呆なこと言うよる
いくら悔やんでも時間は巻き戻せん
もう……過ぎたことをやり直すことはできんがや……」
この時、坂本龍馬を強く苛んだ、悔やんでもやり直せないことへの強い後悔の思いが「文久土佐藩」の謎を解く鍵となっていくのです。
和泉守兼定「どうした国広?」
堀川国広「ねえ、兼さん……この街……おかしくない?」
堀川国広は相棒である和泉守兼定と特命調査で訪れた「文久土佐藩」を視察する中でこう言います。
堀川国広はその後も街に感じる違和感を繰り返し口にしており、「文久土佐藩」の街に漂う異様な気配をいち早く感じ取っていました。
「維伝」ではステージが目まぐるしく変わり、刀剣男士や坂本龍馬たちが動き回る土台がアンサンブルさんによって激しく入れ替わり動いていきます。
時間遡行軍が登場とともにステージを動かし、そのまま戦闘シーンが始まるような場面もあり、舞台作品ならではの大変見応えのある演出です。
最初筆者は、目まぐるしく変わる舞台演出にただただ圧倒されていましたが、なんとこの演出が物語の核心を表していることが後に判明します。
堀川国広「この文久土佐に来てから、気になってることがあるんです。
ずっと……誰かに見られてるみたいで……」
小烏丸「誰かに見られている?」
堀川国広「はい。まるでこの街が生きていて、僕たちを見張っているような……」
まさに「生きている、変わり続ける街」が「文久土佐藩」の街の正体でした。
南海太郎朝尊は、この歪んだ歴史と不可解な街を生んだ犯人にたどり着きます。
「文久土佐藩」を生み出したのはこの街を支配する吉田東洋ではなく、刀剣男士たちと行動をともにしていたーーー坂本龍馬でした。
坂本龍馬の思いが生んだ「文久土佐藩」。放棄された世界に生きる岡田以蔵・武市半平太たちの正体が明らかに
はじめに違和感を自覚したのは、改変された歴史で跋扈する土佐勤王党の頂点に立つ吉田東洋でした。
東洋はこの文久土佐藩は正史と異なる時間軸だと知っており、正しい歴史上は死んでいるはずの自分を殺しに来た刀剣男士たちを返り討ちにして屠ったと陸奥守吉行に告げます。
しかし陸奥守に「おんしは何者じゃ」と言われた瞬間、東洋は虚ろな表情で奇妙なことを言い始めました。
「わしは……土佐藩参政・吉田東洋!
……その、はずじゃがのう
のう……おんしには、わしがどう見ゆる?
自分でももう……よう分からんのじゃ
わしは本当に吉田東洋なのか?
……はははは……頭ん中が……朧げ……じゃ……!!
な?そん霞がかった頭の奥底に「願い」だけがある……
異国の脅威に晒されたこの日の本を守らにゃいかんちゅう「願い」じゃ!
(中略)
ならば、わしは誰じゃ?
わしが吉田東洋であるならば、武市の説く尊皇攘夷など意に介すことなどはなかった!
けんどわしは、武市の進言に乗った!」
そして岡田以蔵は刀剣男士との戦いの中で「悲伝 結いの目の不如帰」に登場した「鵺と呼ばれる(時鳥)」を彷彿とさせるような容姿に変貌。
和泉守兼定「東洋たちだけじゃない。
俺たちが戦った土佐勤王党の連中も、人間離れした力だった」
堀川国広「じゃあ……勤王党……全体が……?」
南海太郎朝尊「……人には非ず。
時間遡行軍でもなく、刀剣男士にもなりきれない魑魅魍魎の類(たぐい)。
存在が朧げである彼らは、言うなれば『朧の志士たち』か……」
「文久土佐藩」で活躍していた歴史上の人物は、人間ではなく「朧の志士たち」だったことが明らかになるのです。
「悲伝」に登場した時鳥にどこか似ている、誰かの強い「願い」が人の形となり、刀剣男士を凌駕する力を持ったもの。
副題になっている「朧の志士たち」とは、人間の強い願いが放棄された時間軸で変質を遂げた存在だったのです。
そして「文久土佐藩」という特命調査の舞台を生み出したのは、坂本龍馬が岡田以蔵と武市半平太の処刑を聞いたときに抱いた
「わしが脱藩せんと土佐におったら二人を助けられたんか?
こんなことなら武市さんらを説得して一緒に脱藩しちょったら……!!」
という悔やんでも悔やみきれない、強い強い後悔。
歴史が変わり正史から切り離された世界で、その後悔の念は壮大な街という形となったのでした。
坂本龍馬が刀剣男士たちと出会って間もない頃、龍馬が土佐に帰ってきたと聞いた半平太は
「龍馬……戻ったか……いや
おんしから始まったと言うべきか
……坂本龍馬」
と言っていましたが、この半平太の言葉こそが文久土佐藩の正体を表していたのです。
原作ゲーム通り決戦の場となる高知城に現れた「願い」が形作った「吉田東洋」は
「わしは誰じゃ?ここで何をしちゅう……
そうじゃわしは土佐藩・参政!!吉田東洋……!
……わしは吉田東洋じゃ!」
と言い、魑魅魍魎としての姿に成り果て、自分の存在を自覚することが難しい状態にも関わらず、和泉守兼定と堀川国広の心に付け入ろうと試みています。
「新選組の刀よ……ならばおんしらは、わしとおんなじじゃ。
260余年続いた徳川幕府のために……いや、戦国より続いた刀の時代のために戦こうて来た刀じゃ……
ならば!わしと共に来い!
この改変された歴史を、正史へと侵略させるのじゃ……!!」
放棄された時間軸をそのままで終わらせず、正史での自分の未来をも変えようとする吉田東洋の「偽物」は刀剣男士たちの前に強力な敵として立ちはだかります。
ひょっとしたら鑑賞されたファンの皆様の中には「なんだ偽物だったのか」とガッカリされた方もいたかもしれません。
しかし筆者はむしろ、坂本龍馬の「願い」によって生まれた存在が、まるで歴史上の人物本人のような強い意思と力を持っていたことに強く心を惹きつけられました。
文久土佐藩を跋扈する時間遡行軍の中には
「物語を おくれ」
と山姥切国広に似た姿と声で呼びかける謎の遡行軍もいました。
悲伝で明らかになった「円環の理」の中で折れてしまった まんばちゃんなのか、三日月宗近に円環の果てで敗れた まんばちゃんなのか…
その正体は今回明らかになりませんでしたが、「朧の志士たち」はたしかに、先にこの地に来た刀剣男士たちを屠っていました。
また「朧」である本人たちも最初は自身のことを本当に「岡田以蔵」であり「武市半平太」であり「吉田東洋」だと思いこんでいました。
「あの時、こうしていれば……」
「過去に戻れるなら、あの決断を変えたい」
という強い後悔の思いと過去を変えたいという叶わぬ願いが、形となって、刀剣男士たちも敵わないほどの力を持つ。
ここに「朧の志士たち」という副題の意味があるように感じます。
「文久土佐藩」を生み出した人の心。目に見えない「願い」が未来を変える
正史なのか、放棄された時間軸での龍馬なのか定かではありませんが、冒頭に登場した坂本龍馬は、きっと自分が殺されるまで同郷の仲間だった以蔵たちの凄惨な最期を悔やんでいたのでしょう。
一方、歴史を改変しようとする者と刀剣男士たちの戦いで、時間軸が複雑に分岐していく。
過去を変えたいという強い願いは切り離された時間軸の中で増幅され大きな力を持ち、「朧の志士たち」を生み出したのではないでしょうか。
なにかを悔やんだり願ったりするのは「心」の働きですが、「心」の語源は一説によると「ころころ」変わるものという意味が元だそうです。
既に起こってしまったことへの後悔は、歴史を改変しようとする時間遡行軍の思想のように「あの時、もし○○がこうしていれば……」というような様々な可能性を考え、心がコロコロ変わっていきます。
街の構造が目まぐるしく変わっていく生きた「文久土佐藩」の街は、さながら人の心が千変万化する姿そのものです。
龍馬が強い後悔を死ぬまで抱え、叶わない願いを持ち続けた時間軸では、心は過去に囚われたまま、コロコロ変わり続けたのでしょう。
そんな人間の目まぐるしく変化する「心」の姿を、深く見つめた哲学が仏教哲学です。
仏教では私たち人間の行いを「業(ごう)」と呼び、その業を大きく3つに分けて「三業」と教えられています。
身・口・意の三つで起こす「業」(ごう)のこと(仏教用語)
食べたり飲んだりといった身体の行いを「身業」、口でなにかを話すことを「口業」、そして心でなにかを思うことを「心業」といいます。
仏教ではこの3つの中で最も強い力を持つのが「心業」、つまり心で何かを思うことだと説かれています。
例えば職場でパワーハラスメントをする上司など憎悪を抱く相手に対して「死んでくれたらいいのに」と思ったとしても、実際に殺すぞと脅迫したり包丁で刺したりしなければ、法律上の罪にはなりません。
しかし仏教では心で何を思ったかという意業が最も重要だと教えられます。
その理由は、口や身体は心で思った通りに動くのであり、心で思わないことを私たちが話したり行動したりすることは無いからです。
人間がやること為すこと全ての根っこにあるのが、心の行いだからです。
そして私たちの行いである「業」には目に見えない大きな力があります。
「自業自得」という仏教由来の四字熟語がありますが、良いことも悪いことも私たちが心で何かを思う行為は必ず結果を生み出す、強い力があるのです。
いくら悔やんでも結果は変わらないと分かっていても、あの時間軸で坂本龍馬が抱いた
「こんなことなら武市さんらを説得して一緒に脱藩しちょったら……!!」
という強い後悔と永遠に叶わぬ願い。
その強力な業は放棄された時間軸で増幅し「文久土佐藩」を生み出すことになったのです。
坂本龍馬だけでなく、業が持つ強さは私たち人間すべてに共通するものです。
幕末の偉人だけでなく、令和の時代に生きる私たち現代人も同じ。
過去に縛られたまま、いくら悔やんでも変わらない後悔に苦しみ続けるのか。
「朧」の坂本龍馬を討った陸奥守吉行のように、既に起こったことを受け入れ、未来を切り開こうという前向きな願いを持って生きていくか。
どんな「願い」を持って毎日を過ごしていくかによって、数年後の私たちの未来は大きく変わるのです。
仮初めの街でしかないはずの「文久土佐藩」が生み出した「朧の志士たち」。
存在の曖昧な魑魅魍魎であるはずの彼らは、かつてその街に来た他の刀剣男士を屠るほどの強さを持っていました。
人が思う力の強さを「朧の志士たち」は教えてくれているように思います。
◆このコラムの続編をアップしました!
【刀ステ考察】「維伝 朧の志士たち」から知る岡田以蔵の姿。肥前忠広と「朧」によって明らかになる「人斬り以蔵」の心とは※ネタバレ注意