絶賛放映中の夏アニメ注目作『活撃 刀剣乱舞』。
女性を中心に圧倒的な人気と売上を誇っているオンラインゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』のアニメ化第2弾です。
ファンの高すぎる期待の中、世に送り出された『活撃 刀剣乱舞』も放送開始から半クールが過ぎました。
毎回衰えない、映画並みの映像技術は、さすがufotableさんですね。
そんな『活撃 刀剣乱舞』の中でも、特に「神回」と言われたのが第7話『第一部隊』。
本丸のエース・第一部隊を描いたショートストーリーです。
これまでアニメ化作品で一度も登場しなかった、髭切(ひげきり)・膝丸(ひざまる)(通称「源氏兄弟」)、大典太光世(おおでんたみつよ)も登場し、多くの源氏沼民や光世沼民を墓に突っ込みました。
筆者も膝丸ファンなので、登場するなり展開された源氏コントにもれなく失神しかけました(笑)
最も優秀な刀剣男士が揃っている精鋭部隊として描かれ、強敵を物ともせず倒していくアクションシーンは視聴者から高い評価を受けていましたが、第7話の魅力はそれだけではありません。
第7話で三日月宗近(みかづきむねちか)が骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)に語った深い言葉の意味を考察していきます。
足利義輝が刀で辻斬り!?アニメ『活撃 刀剣乱舞』第7話『第一部隊』あらすじ
『刀剣乱舞』の主役は審神者(さにわ)によって人間の姿を与えられた「刀剣男士」。
刀剣男士の使命は、過去に遡り歴史を改変しようとする謎の勢力「時間遡行軍」と戦い歴史を守ることです。
『活撃 刀剣乱舞』で描かれているのもその世界観で、今回の主役・骨喰藤四郎が新たに配属されることになった第一部隊も審神者からの指令で室町時代にタイムスリップしていました。
骨喰たちがやってきたのは永禄8年。永禄の変があった年です。
永禄の変(永禄の政変)とは1565年6月17日、室町幕府の第13代将軍足利義輝らが京都二条城で襲撃され、殺害された事件のこと。
第一部隊は永禄の変の一ヶ月後の時空に派遣され、現れたばかりの時間遡行軍を瞬殺しますが、その現場のすぐ近くで複数の惨殺死体を発見します。
隊長・山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)は惨殺死体は時間遡行軍によるものである可能性もあるとして、一度京の都に行くことを決定。
しかし京の都は、都とは思えないほど不気味な静けさでした。
街の人たちに聞き込みをしていったところ、辻斬りが現れて昼夜を問わず人を斬りまくっているというのです。
さらに辻斬りは鬼の面で顔を隠した、足利義輝だと言われていました。
足利義輝は一ヶ月前、永禄の変で殺されたはずの将軍です…
山姥切「将軍義輝が辻斬り?」
大典太「鬼の面で顔を隠してるそうだが、京の都じゃ、もっぱらの噂になっている」
膝丸「俺達も聞いた。ようやく人を見つけて話を聞いたら昼夜問わず現れて、人を斬ってるんだとか…」
髭切「今朝の犠牲者もその辻斬りのせいかもね」
山姥切「ちょっと待て、その将軍はたしか…」
三日月宗近「うむ、将軍足利義輝…本来ならば一月前の永禄の変にて命を落としてるなあ」
膝丸「だが仮に生きていたとして、辻斬りなど」
髭切「いや。ありえない話ではないよ。足利義輝は血に溺れていた人だからね。実際にそう書かれた文献も残ってるようだし。」
大典太「ま、確かに変わった奴であったが、そんなことをするとは…」
骨喰「…なぁ三日月。」
三日月「ん?」
骨喰「俺と違って記憶があるんだろう?足利義輝はどんな人物だった?」
三日月宗近は原作ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』でも看板キャラクターとして扱われており、ゲームのアイコンや公式イベント『刀剣乱舞-本丸博』でも看板キャラクターとして登場しています。
レアリティも一番高いクラスでスペックも最高値に設定、ゲームを始めた人にとってはいつかは手に入れたいレア刀剣で、刀剣乱舞をよく知らない人も顔は見たことがあるという方も多いでしょう。
独特のマイペースなキャラクターや老成した喋り方が特徴的で、平安時代に作られた刀という出自からも「じじい」という愛称で呼ばれています。
『活撃 刀剣乱舞』では三日月自身が自分のことを「俺はじじいだからな」というシーンも描かれていました。
三日月と骨喰は室町時代、足利宝剣のひとつとして共に足利家にいました。
原作ゲームでも一緒に出陣させると回想イベントが発生します。
骨喰は脇差の刀剣男士ですが、薙刀を磨り上げて長脇差となったとき記憶を失っており、過去の主である足利義輝がどんな人物だったかを覚えていません。
記憶にない元主が、暗殺されたはずの政変のあと辻斬りとなって民を斬り殺している。
元主は一体どんな男だったのか。
足利家に刀としていたときの記憶を持っている三日月に、元主について訪ねた骨喰でしたが、その答えは意外なものでした。
足利義輝の刀・三日月宗近と骨喰藤四郎の会話に隠れた深い人間観
「元主のことが気になるか。
しかしな。人の素顔など月の満ち欠けのようなもの。
見ようによっては全く違う姿となるものだ。
俺の知ってる顔が足利義輝の全てではあるまい。」
元主のことを知りたいという骨喰に対し
人の素顔など月の満ち欠けのようなもの。
見ようによっては全く違う姿となるものだ。
と返した三日月宗近。
このセリフ、実は深い人間観が隠れています。
はじめに足利義輝が辻斬りをしているらしいという話があがったとき
「だが、仮に生きていたとして辻斬りなど」
「いや。ありえない話ではないよ。足利義輝は血に溺れていた人だからね。実際にそう書かれた文献も残ってるようだし」
と膝丸と髭切が会話をするシーンがありますが、このとき筆者は予備校で浪人していたときに聞いた話を思い出しました。
私は元々日本史の授業が好きで、二次論述試験で選択できる学校を受験予定でもありました。
(実際にはセンター試験で失敗して志望校を受けられなかったのですが・・・(笑))
予備校でも日本史・世界史専門の先生の講義をよく受けていて、予備校生活の中での数少ない楽しみの一つでもありました。
担当してもらっていた先生は本当に講義が面白く、いまだに授業で聞いたことを思い出すことがあります。
中でも特に覚えている授業は有名な「大化の改新」について。
当時権力を握っていた蘇我入鹿や蘇我蝦夷が乙巳の変といわれる政変で中大兄皇子たちに暗殺され、その後行われた政治改革を大化の改新といいます。
この授業で、先生がこう言ったのを今でも覚えています。
「ところで、『蘇我入鹿』とか『蘇我蝦夷』って本名だと思ってますか?
そんな訳ないんですよ。
だって『蘇我馬子』なんて馬ですよ!?馬、ウマ。ウマだからね。
自分の子供の名前にウマとかイルカとか付ける権力者、いると思う?
歴史書は勝者が紡ぐものですから。
本当はすごく良い政治家だったかもしれないけど、蘇我氏を滅ぼした人たちが歴史書を残していったから『馬子』とか『入鹿』とかになっちゃうワケですよ。」
1000年以上も前のことですから、真実は誰にも分からないところです。
私たちが歴史を知るには残された文献を探るしかありません。
しかし文献に残された人物の評価は、どうしても評価する人の都合が入ってしまいます。
大化の改新の後の時代における政治的立場はもちろん、現代社会でも人の評価は三日月宗近が言うように、
見ようによっては全く違う姿となるものだ。
というものですから、蘇我氏が滅んだ後に歴史書に書かれたその全盛期だって、本当に書かれた通りの行いをしていたのか、「馬子」や「入鹿」といった名前を付けられているところからも、どこまで正しいか謎が残ります。
歴史人物だけじゃない、他人の評価が気になる現代人にも共通する問題
私たち現代に生きる人々にも同じことがいえます。
会社や学校で自分が陰口を言われているのを聞いたり、人事評価が悪かったり、昇格できなかったりすると、真面目な人ほど自分の全てを否定されたような錯覚をしてしまいがちです。
しかし全ての人に好かれる人はいませんし、仕事上の対立関係など、その人の素顔を知る前にキライになってしまったり、非難されるようになることもあります。
芸能人のスキャンダル記事などを見ていると、「記者はこの芸能人を何の恨みがあってこんな悪いことばかりを書くんや」と思わなくもないですが、あくまで仕事上の立場で書いているんでしょう。
仕事で真面目に頑張ったのに低い評価をつけられ、自信をなくしている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし上司の評価といえど、100%客観的に私情を抜きに、部下を評価するのは大変難しいです。
子供向けアニメに聡明な人として描かれた禅僧「一休さん」も大人になってから
今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
という歌を残しています。
今日は自分の都合や立場上「イイ人」として褒めてくれた人が、明日になれば事情が変わり「悪い人」と言い出すようになる。
そんなコロコロ変わる人の評価に振り回されて、大切な人生の時間を失ってしまっては勿体無いですよ、と一休さんは言っているのです。
足利義輝も髭切が言うように、血に溺れていた人と語られていますが、文献に書かれた足利義輝の姿が本当の姿かは分かりません。
「人の素顔など月の満ち欠けのようなもの。見ようによっては全く違う姿となるものだ。俺の知ってる顔が足利義輝の全てではあるまい」
という三日月の言葉の「見ようによっては」とは言い換えれば、その人の都合によってはという意味といえるのではないでしょうか。
人からの評価や、直すべきところの指摘を全く聞く耳持たないというのは進歩も向上もなく、自己中心な人生になってしまいます。
ただ他人の評価や好き嫌いに振り回されてばかりの人生というのも、自分らしい生き方とはいえません。
「もしかしてあの人に嫌われているんじゃ…」と不安になったときは、天下五剣・三日月宗近が骨喰藤四郎に返した言葉を思い出したいものですね。