仏教で教えられる煩悩とはなにか:煩悩①(仏教用語解説シリーズ)

「煩悩」という言葉は聞いたことがあると思います。「お前煩悩まみれだな」「煩悩にわずらわされて勉強できなかった」など、自然に使っています。仏教から出ている言葉だと薄らボンヤリとは知っています。が、どういう意味なのか、どういうものが煩悩なのか、ハッキリ知っている人はあまりありません。教えていただきましょう。

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「煩悩」とは

煩悩というのは字面の如く「私達を煩わせ、悩ませるもの」を煩悩といいます。後述しますが、欲望や怒りや恨み妬みの心のことなどを指します。

私達が「辛いな」「嫌だな」と思う時、この煩悩が必ず関係しています。欲しいと思っても手に入らない時。自分が思い描いていたことを突然の横槍でぶち壊された時。同じような人が突然出世したり、評価されたりしているのを見た時。このような嫌な感情が出る時は、まさに煩悩に煩わされている時です。煩悩と切り離された時はありません。常に自分を困らせる心を煩悩と教えられています。

この煩悩とどう向き合うか、仏教では教えられているのです。

煩悩は108つもある!?

その煩悩ですが、かなり詳細に教えられています。なんとその種類は、全部で108つもあります。驚きですね。落ち着けて自分の心を見つめても、108つもあるとはなかなか思えません。

ところでこの108という数字に聞き覚えはないでしょうか。そうです。除夜の鐘のつく回数です。

日本人なら除夜の鐘を知らない人はないと思います。12月31日にの除夜(大晦日の夜)、深夜0時を挟んだ時間帯に仏教寺院の鐘をつきます。民放のテレビで芸人やアイドルがカウントダウンをやっているなか、NHKでは鐘をついてるので見たことある人も多くありそうです。「ゆく年くる年」ですね。鐘を聞いて何が楽しいんだということですぐにチャンネルを回しているかと思います。

ではどうして108つも鐘をつつくのでしょうか。

それは煩悩の数である108回鐘をつくことで、今年自分を煩わせた108つの煩悩に、来年は煩わされたくないと祈願して鐘をつくのです。煩悩を持たない人はありませんから、この気持ちは誰にでもあると思います。意味を知ると、少し鐘の音が違って聞こえるかもしれません。しかし、いつの年も鐘が鳴り続けるということは、煩わされなくなったということがないわけで、一生ついてまわってくることが分かります。

また念珠の数珠があるかと思いますが、数珠の玉を数えると、108つと関連することがあります。大きい数珠だと108つありますし、小さいものだと108を3で割った36、あるいは18などいわゆる公約数です。数珠の玉は煩悩を意味していて、数珠をもつのは煩悩をもつ我が身の自覚と戒めのためと言われます。

中でも大きい六大煩悩

さてその108の中でも特に大きいものに六大煩悩と言われるものがあります。以下の6つです。

  • 貪欲(とんよく)
  • 瞋恚(しんい)
  • 愚痴(ぐち)
  • 疑(ぎ)
  • 慢(まん)
  • 悪見(あっけん)

見たこと聞いたことがあるのもいくつかあるかもしれません。現代の言葉として浸透しているものもあります。が、仏教で説かれているものから離れているものも少なくありません。

まずはこの六大煩悩の中でも三毒の煩悩といわれて特に恐ろしい、「貪欲」「瞋恚」「愚痴」から解説していきたいと思います。毒とあるように時に相手だけでなく自分を殺す恐ろしい心です。

次回に譲ります。