※『宝石の国』最新巻までの内容があります。ネタバレご注意ください。
遠い未来、僕らは 「宝石」 になったーーー。
人類が滅んだ未来の世界で生きる「宝石」たちの物語『宝石の国』。
昨年秋アニメ化され、宝石たちの魅力は多くの視聴者の心を掴みました。
本作の魅力は脆く美しい宝石たちなのはもちろんですが、ストーリーにも深い哲学思想が隠れています。
今回は最新巻までのフォスの変化から「じぶん」とは何なのかというテーマについて『宝石の国』から学びたいと思います。
【宝石の国・あらすじ】主人公・フォスに訪れた劇的な変化
地球に六度隕石が落ち、人間が滅亡したあとの世界。
地上には美しい「宝石」が暮らしていました。
宝石たちは人間によく似た容姿をしていましたが、私たちと違い体がバラバラに破壊されても蘇生する肉体を持っています。
不老不死の体現ともいえる宝石たちには唯一、天敵がいました。
それは月に住む月人。
彼らは頻繁に地上に訪れ宝石を誘拐するので、宝石たちは互いの強みを補い合いながら月人と戦っていました。
主人公のフォスフォフィライトは戦闘力の指標となる硬度が三半。
不器用で自他ともに認める役立たずでした。
さらに300歳のとき、海に住む種族の王に騙されて両足を失ってしまいます。
ところが両足の代わりに繋いだアゲートにより、戦闘に参加できるようになり、その後みんなが冬眠している間の仕事を進んで担当するようになりました。
冬の仕事である流氷割りの最中に今度は両腕を消失したフォスですが、腕を補うために繋いだ合金が今度は変幻自在に変形する武器に変化します。
フォスの腕に合金を繋いだあと、フォスの身代わりとして月人に拐われた仲間・アンターク。
アンタークへの無念を胸に、フォスは戦闘の最前線で活躍する戦士へと変化しました。
強くなったフォスは自分たちの親であり師である金剛先生の正体に不審を抱くようになります。
金剛先生の謎をひそかに探る中で、ゴースト・クオーツという仲間との協力を得るも、手がかりは得られず行き詰まっていました。
ゴースト「ラピスがいれば…
ラピスはとても頭が良くてね
ここの蔵書の内容もすべて覚えてたわ
それに僕の中のコもラピスの言うことなら聞くんだけど……
僕は二重構造になってて中にもうひとりいるの
よく僕より先に動いてみんなを驚かせちゃうの
昨日もそう
どうしてもラピスを助けたかったみたい」
ゴーストは中にもう一人「宝石」がいる特殊体質でした。
その後もラピスに似ているフォスに協力し、戦闘でも月人と意思疎通しようとするフォスの手助けをしようとします。
しかしゴーストは戦闘中負傷したフォスを守るため月人に攫われてしまい、中にいたもう一人のゴースト・カンゴームが現れました。
カンゴームとの出会いで平穏な日常を取り戻したはずのフォスは「頭」を失う
「おまえのせいだ
月人との意思疎通法の解明?
月人と話すだかなんだか
しらんが
できもしないようなことをしようとするな
これからは俺の命令に従ってもらう
あいつを回収しおまえがあいつに謝るまで
赦さない」
カンゴームは、ゴーストが攫われたのはフォスのせいだと憤ります。
フォスもアンタークに次いでゴーストを自分のせいで失ったことに強いショックを受け精神不安定に。
最初はフォスへ強い憎しみを抱いていたカンゴームでしたが、錯乱したフォスを見て
「どうしてもつらい時はアンタークでもゴーストでも俺のことは好きに呼べ」
と優しい言葉をかけ、フォスをサポートするようになります。
フォスも金剛先生の正体を探ることを諦め、平穏な日常が戻りつつありました。
しかし今度は月人との戦闘でフォスは首を刎ねられ、頭部を月人に持って行かれてしまいます。
宝石たちは体の一部が千切れても繋げば蘇生しますが、頭が無い状態ではフォスの意識は戻りませんでした。
途方に暮れる皆に、カンゴームは苦肉の策を提案します。
「昔 頭だけきれいに残したやつがいる」
カンゴームとゴーストの昔の相棒・ラピスは月人との戦闘中フォスのように首を刎ねられ頭だけを地上に残して月へ攫われていました。
「フォスフォフィライトにラピス・ラズリの頭部を付ける
許可を」
硬度がフォスと近いラピスの頭なら、頭の代わりに繋いでフォスの意識を戻すことが可能なのではないかとカンゴームは提案します。
医師のルチルは、手足に加え頭まで失ったフォスにラピスの頭部を移植すると、肉体のうちフォスが生まれながらに持っていた部分が半分以下になることに懸念を示します。
「運良く目覚めても、フォスフォフィライトといえるかどうか……」
ラピスの頭を繋いでフォスが目覚めたとき、そこにいるのはフォスなのか。
皆が不安を抱く中、フォスの首にラピスの頭が接合されます。
100年後目を覚ましたのは、頭も手足も別人のフォス
「冬の担当になって今年で百年だ」
フォスがラピスの頭を接合してから、百二年の時が経ちます。
カンゴームはフォスが目を覚まさない百年間、フォスが担当していた冬の仕事を担っていました。
冬が終わり春が訪れたある日、皆が見知らぬ姿の宝石が現れます。
「あのぉ
すごく疲れてるんだけど
なんでかなあ
はあ……とにかく頭が重くてさあ……へんなかんじ……
こんなに目覚めが悪いの はじめてだよ〜」
そこにいたのはラピスの顔をしたフォスフォフィライトでした。
顔面は別人でも性格はフォスそのままで、フォス自身の自我を持ったまま意識を取り戻すことができたのです。
しかし繋いだ頭部のインクルージョンにはラピスが仕込んだ「伝言」が残っており、フォスの夢に現れたラピスは金剛先生の謎を説くためのヒントを言い残します。
その日からフォスはラピスの頭脳と観察眼、そして強い好奇心を受け継ぎ、再び金剛先生の正体を探り始めました。
そして最終的に月に行って直接月人に問いただす他に策が無いという結論に至ります。
「月に行ってくる」
月へ旅立ったフォスは、月の世界で月人が宝石たちを拉致する本当の理由を知り、仲間たちを取り戻すため金剛先生を裏切ることを決意します。
肉体も精神も変化したフォスがそれでも変わらず存在すると思う「自分」とは
『宝石の国』第1話から登場しているフォスの外見は胴体以外は完全に別人になりました。
ラピスの頭を接合したことで強い知的好奇心が芽生え、仲間を騙して月へ行き、金剛先生を欺いて月人と取引をするようにまで性格も変貌します。
物語序盤のフォスフォフィライトの要素をほぼなくしていますが、不思議なことに仲間や金剛先生、そして読者の私たちもフォスはフォスだと思っています。
しかし肉体の面ではフォスといえる部分は胴体のみ。
性格も変化しているので、自我という点でもフォスとは言えなくなりました。
しかしフォス自身も自分は過去のフォスと別人だとは思っていません。
記憶にない過去の失態を聞いて
「昔の僕 ただの痛々しい無秩序大バカヤロウじゃん
今の知的な僕には耐えられない」
と衝撃を受けるシーンも描かれています。
肉体や知能、性格が全く変わっても、フォスという存在は消えていないことが現れています。
これは私たち「にんげん」にも当てはまることではないでしょうか。
現代医学では別人の頭部をくっつけて蘇生するというようなことはできません。
しかし既に臓器の移植は珍しくなく、医学が発展すればフォスのように体を取り替えることができるようになるかもしれません。
臓器移植を受けた方は移植後も本人であるはずで、移植後は別人として出生届を出しに行くなんてことはしないです。
同じように未来の医術で肉体のあちこちが交換できるようになったとしても、変わらない「自分」というものがあるのです。
これは哲学の世界でも論じられてきたテーマで、鷲田清一さんという哲学者の代表作でも取り上げられています。
もし身体がわたしの所有物だとすると、所有物は譲渡や交換が可能であるはずだから、足から順にじぶんの身体をつぎつぎに別の身体と取り替えていっても、わたしはわたしであるはずだ。
けれども想像が腹部あたりにたっしたころから、だんだんあやしい気分、おぞましい気分になってくる。
身体はわたしが所有しているものではないと、前言を翻したくなってくる。
つまり、じぶんが身体であるのか、身体をもつのかはっきりしないまま、わたしたちはなんとなくじぶんがこの身体の皮膚の内側にあると思いこんでいる。
(鷲田清一「じぶん・この不思議な存在」より)
「自分」とは肉体のどこにあるのかと聞かれるとはっきり言える人はいないでしょう。
日々世話になっているこの体を何となく自分だと思い、自分はここにいると思っていますが、よく考えてみれば「自分」は肉体ではないのです。
仏教哲学ではフォスのように体のあちこちが入れ替わったとしても、消えることのない「自分」というものが説かれています。
『宝石の国』の作者である市川春子先生は高校生のとき仏教を学ぶ機会があったそうで、作品の中にも仏教で説かれるテーマが現れているのかもしれませんね。
仏教では「諸行無常」という有名な仏語に表れているように、私たちの肉体や心は絶えず変化していくものと教えられます。
フォスほどの変化でなくても、人間も年をとるにつれ容姿や体の若さ、物事の考え方はどんどん変わっていきます。
変わり続ける私たちの肉体や心に関係なく存在し続ける「本当の自分」があり、仏教で「阿頼耶識」といいます。
私たちが普段特に意識することのない「自分」という存在。
フォスは自身の変化を通して、私たちに「自分」について哲学するきっかけを与えてくれているように思います。
(参考)阿頼耶識についてはこちらの記事で詳しく書かれています。