『Fate/Grand Order』が8月26日のAppStore売上ランキングで首位を奪還しました。
Fateシリーズといわれる言わずと知れた大人気シリーズが生まれてから10年以上経ちますが、アプリゲーム『Fate/Grand Order』の売上はトップクラスです。
さらに来月10月14日からはufotableさん製作の映画『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』が放映されます。
そのufotableさんが初めてFateシリーズをアニメ化し男女問わず幅広い層から支持を集めるきっかけとなった作品が虚淵玄さんによるスピンオフ作品『Fate/Zero』。
来月放映の『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』の10年前に起こった出来事が明らかになる作品です。
『FGO』がきっかけで来月映画を見に行く予定の方に是非知って頂きたい!と筆者が思っているのが『Fate/Zero』で描かれる人生哲学の深さ。
前回に引き続き、『Fate/Zero』で描かれるヒトの「愉悦」という心の本質をお伝えします。
※前回記事はこちら(今回の記事だけでも読めます)
英雄王・ギルガメッシュと迷える聖職者・言峰綺礼。二人の「愉悦部」活動はここから始まった
エリート聖職者・言峰綺礼。
誰もが栄光と賞賛する聖職者としての人生を歩みながらも、教会の裏組織「代行者」となり、教義に反する存在を討伐する任務に励んでいました。
どれだけ修身と鍛錬を積んでも満たされない心に悩んでいた綺礼は、父親・言峰璃正(ことみね りせい)からある任務を受けます。
それは「聖杯戦争」への参加。
聖杯戦争はあらゆる願いを叶えるという器「聖杯」を巡り、聖杯を求める七人のマスター(魔術師)と、マスターに呼び出された七騎のサーヴァント(英霊)が殺し合いをする争いです。
璃正が密かに手を組んでいる魔術師・遠坂時臣が参加する「聖杯戦争」に一緒に参加し、時臣と密かに連携、時臣が聖杯戦争に勝つよう協力しろという任務でした。
綺礼は「聖杯」に選ばれたマスターの資格の証「令呪」を授かっていましたが、叶えたい願望の無い自分がなぜ選ばれたのか分かりません。
綺礼が弟子入りした魔術師・時臣は魔術師の名家・遠坂家の当主らしく周到に準備を進め、サーヴァント・ギルガメッシュ(アーチャー)を召喚しますがこのギルガメッシュが中々厄介な英霊でした。
金の鎧を纏い、全てを見下した態度をとる金髪と赤目の男。
一人称は「我(オレ)」。酷薄にして無情。人の意見を聞き届けず、己の基準のみを絶対とする暴君。
傲岸不遜で唯我独尊、おまけに傍若無人。自らを「唯一無二の王」と称してはばからない。
ギルガメッシュは時臣の言うことをほとんど聞かず勝手にあちこちを放浪し、ある日綺礼のところに現れ「聖杯で叶えたい理想も願望も無い」という綺礼に興味を持ちます。
「理想もなく、悲願もない。ならば愉悦を望めばいいだけではないか」
「神に仕えるこの私に、よりにもよって愉悦などーーーそんな罪深い堕落に手を染めろと言うか?」
「愉悦というのはな、言うなれば魂の容(かたち)だ。
“有る”か“無い”かないかではなく、“識る”か“識れないか”を問うべきものだ。
綺礼、お前は未だ己の魂の在り方が見えていない。
愉悦を持ち合わせんなどと抜かすのは、要するにそういうことだ。」
綺礼は自身の本当の姿が分かっていないから、愉悦の心があることに気付かないだけだとギルガメッシュに諭されます。
そして自分の娯楽に付き合えとギルガメッシュは言いだし、マスターたちがどんな望みを叶えるために聖杯戦争に参加しているのか、その動機を調べるよう指示しました。
ギルガメッシュと綺礼の一連のやり取りは、よくファンの中で「愉悦部」と言われ愛されて(?)います。
自身の愉悦の心に気付かない綺礼に愉悦の何たるかを説いていく様が、新入部員を勧誘するかのように見えるからでしょう。
言うことを聞けば時臣にプラスになるかもしれないと思った綺礼は、自身が召喚したサーヴァント・アサシンを使い他の5人のマスターたちを調べ上げ報告します。
しかし綺礼は予想もしなかった「ギルガメッシュの娯楽に付き合う」ことの真の目的を知らされます。
迷える聖職者・言峰綺礼の本心がギルガメッシュの「名言」で明らかになる
「ーーー自覚がなくとも、魂というものは本能的に愉悦を追い求める。
喩えば(たとえば)血の匂いを辿る獣のように、な。
そういう心の動きは、興味、関心として表に表れる。
故に、綺礼。お前が見聞きし、理解した事柄を、お前の口から語らせたことには、既に充分な意味があるのだ。
もっとも多くの言葉を尽くして語った部分が、つまりはお前の『興味』を惹きつけた出来事に他ならぬ。
とりわけ『愉悦』の源泉を辿るとなれば、ヒトについて語らせるのが一番だ。
人間という玩具(がんぐ)、人生という物語……これに勝る娯楽はないからな」
「……」
綺礼としても、今度ばかりは油断を認めざるを得なかった。
英雄王ならではの無軌道な、ただの余興とばかり思っていた。
それがまさか、こんな形で綺礼の心を解体する腹でいたとは、まったくの予想の外だった。
ギルガメッシュは、気ままな命令を与えたように見せかけて、綺礼本人も気付いていない心の奥底を暴こうとしていたのでした。
さすがカリスマ(A+)スキルを保有しているだけはある、人の心を巧みに操る英雄王の凄さが表れていますね。
そしてギルガメッシュは綺礼が最も熱を込めて語った人物に、綺礼の『愉悦』が隠れていると指摘します。
綺礼は不吉な胸騒ぎを覚えた。
この話題は、できることなら早々に切り上げてしまいたかった。
そんな綺礼の動揺に、アーチャーはますます気を良くしたと見えて、満足げな笑みのままワインで喉を潤す。
「バーサーカーのマスター。
たしかカリヤとか言ったかな?
綺礼よ、この男については随分と子細に報告してくれたではないか」
「……事情の入り組んでいる人物だ。それなりの説明を要したというだけのことだが」
「フン、違うな。お前はこの人物についてのみ、『入り組んだ事情が見えてくるほどの掘り下げた調査』をアサシンに強要してしまったのだ、お前自身の無自覚な興味によって、な」
「カリヤ」こと間桐雁夜は片想い相手の葵(あおい)と結婚した遠坂時臣に強い怨念を抱いていました。
さらに時臣は葵との間に授かった次女・桜を雁夜の実家である間桐家に養子に出し、桜は間桐家で魔術の教育という名の虐待を受けていたのです。
雁夜は不老不死の実現のため聖杯を求める父・間桐臓硯と取引をし、聖杯を獲得することと引き換えに桜を解放するよう求めます。
聖杯戦争に参加するため、桜と同じ仕打ちを受けた間桐雁夜は余命いくばくもない体に成り果てました。
一見幼い少女のために身を挺して戦っている雁夜。
しかし自身も気付かぬその心の奥には、自分から葵を奪った時臣に復讐を果たしたいという願望が秘められていました。
「では綺礼、ここから先は仮定の話だ。
ーーー万が一の奇跡と僥倖が重なって、バーサーカーとそのマスターが、最後まで生き永らえるシナリオを想定してみろ。
そのとき何が起こるか、お前には思い描けるか?」
間桐雁夜に興味を持っていたことを指摘され、「判断のミスだ」と言い返した綺礼にギルガメッシュは更なる命題を与えました。
勝機などあろう筈もないが、それも仮定として勝ち果せ(おおせ)、さらには聖杯を手にしたとする。そのとき雁夜が向き合うものとは何か?
……考えるまでもなく、それは己の闇に他ならない。葵のために娘を取り戻すという大義で、今度は葵から夫を奪うという矛盾、その矛盾に気付かない、いや気付こうとしない心とはすなわち嫉妬と劣情を押し隠している自己欺瞞に他ならない。
血みどろの勝利の果てに、間桐雁夜はそんな己の内側のもっとも醜い部分を直視する羽目に陥るだろう。
このように雁夜の未来を想像した綺礼。
見守っていたギルガメッシュが、ふと語りかけます。
「なあ綺礼よ。もういい加減に気付いてはいいのではないか?
この問いかけの本質的な意味に」
ギルガメッシュが見抜いた綺礼の「愉悦」は「愚痴」の心だった
「もし仮に、他のマスターについて同じ課題を与えられていれば、お前は早々にその無意味さに気付き、詮無いものとして一蹴していたはずだ。
ところがカリヤについては、そうならなかった。
お前は平時の無駄のない思考を放棄し、延々と益体のない妄想に耽っていた。
無意味さの忘却。苦にならぬ徒労。
即ち、紛れもなく『遊興』だ。
祝えよ綺礼。お前はついに『娯楽』の何たるかを理解したのだぞ」
「…娯楽、即ち、愉悦だと?」
「然り」
断言するアーチャーに対し、綺礼もまた断固としてかぶりを振った。
「間桐雁夜の命運に、ヒトの『悦』たる要素など皆無だ。
彼は生き長らえる程に痛みと嘆きを積み重ねるしかない。
いっそ早々に命を落としたほうがまだ救われる人物だ」
前回記事の内容になりますが、ギルガメッシュが言う「愉悦」とは、「煩悩」と言い換えることができます。
鎌倉時代の有名な仏教書には
煩悩熾盛(しじょう)の衆生(しゅじょう)
とあり、人間は煩悩で燃え盛っているようなものだと仏教では説かれています。
ギルガメッシュが「愉悦を持たないと言うのは、自分の心に愉悦があることに気付かないだけ」と言ったのはまさにこのことで、人間は誰ひとりとして煩悩を持たない人はありません。
「愉悦」とはすなわち、「煩悩」の喜びなのです。
「あの人はいつも穏やかで煩悩がなさそう」
と思われる人はありますが、どんな聖人君子と言われる人にも煩悩が108あると仏教では説かれています。
そして煩悩は煩わせ悩ませるという字が表すように、私たちを苦しませる心です。
中でも特に最も私たちを悩ませ、苦しめるものが
貪・瞋・痴(とん・じん・ち)
の三大煩悩と言われます。
その中の一つ「痴」とは、「愚痴」の心です。
愚痴というと現代では不平不満を言う意味で「愚痴を言う」というように使われることが多いですが、本来の意味は「ねたみ」の心のことを言います。
自分より幸せな人を見ると吹き上がるイヤ~な「ねたみ」の心は、裏を返せば「他人の不幸は蜜の味」と思う心です。
有名芸能人のゴシップ記事が多くの人から注目されるのも、森友学園、加計学園グループなど次々と政界スキャンダルが話題を集めるのも、人間は皆どこかに他人の不幸が面白い心があるからではないでしょうか。
綺礼の「愉悦」とはそんな「愚痴」の心だとギルガメッシュは見抜きます。
「……綺礼よ、なぜそう『悦』を狭義に捉える?」
物分かりの悪い教え子を嘆くかのように、アーチャーは深く嘆息した。
「痛みと嘆きを『悦』とすることに、何の矛盾があるというのだ?
愉悦の在り方に定型などない。それが解せぬから迷うのだ。お前は」
間桐雁夜は聖杯戦争にたとえ勝利しても、待っているのは余命いくばくもない自身の命と、想い人から最愛の夫を奪うことになるという最悪の結末だけ。
人妻への報われない恋で人生を破滅させた雁夜の「痛みと嘆き」を見て、綺礼は甘い甘い蜜を舐めるような、愚痴という「愉悦」を感じていたのでした。
自身の醜い「愚痴」の心をギルガメッシュに指摘された綺礼はどう反応したのでしょうか。
そこから分かる、「愉悦」のさらに奥深い本質を引き続き解説します。
※記事中のストーリー紹介はこちらから引用させて頂きました。
Fate/Zero 1 -第四次聖杯戦争秘話-(ISBN 978-4-06-138903-8)
Fate/Zero 2 -英霊参集-(ISBN 978-4-06-138904-5)
Fate/Zero 4 -散りゆく者たち-(ISBN 978-4-06-138908-3)