北斗晶さん乳がん告白から知る、苦渋の決断を動かす想いと苦しみ

タレントの北斗晶さんが乳がんだったことを告白し、話題になっています。

北斗晶さんと言えば、元女子プロレスラーのタレントとしてバラエティ番組からテレビCMと縦横無尽に活躍している方です。そして旦那さんのプロレスラー佐々木健介さんと仲睦まじく、家族で一緒にテレビに出演されていることでも有名です。

そんな北斗晶さんが、9月23日自身のブログで乳がんだったことを告白しておられます。

今日は、皆さんにお話ししなくてはならない事があります。
長いブログになってしまいますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

私は今、病院のベッドに居ます。
昨日の夕方の生放送を最後に、本格的な闘病生活に入る事になりました。

病名は…乳癌です。

元気な北斗晶さんのイメージが強い分、乳がん告白には驚きを隠せません。ファンの人も驚きを隠せず、ブログのコメント欄は心配と応援の声に溢れています。

そして乳がん告白とともに、右乳房の切除にいたったことを発表しています。

Hospital room
Hospital room / treehouse1977

右乳房の切除の背景とは

言うまでもなく乳房は女性の象徴部位です。それを切除するというのは、かさぶたを剥がすこととは比べ物にならないほどに重い決断です。北斗晶さんは以下のように述べています。

[右乳房全摘出]を先生から告げられた時、あまりの恐怖とショックに初めて自分の事なんだと…泣きました。

なんとか乳房を全摘出せず、癌だけを取り除く事は出来ないのか?
せめて乳頭だけでも残せないか?

48歳と言っても、私だって女です。
胸を全て取る事の恐怖。普通にあるのが当たり前だった胸が乳頭までも全てなくなる。

直ぐには、主治医の先生に[分かりました!胸を全部取ってください。]とは言えませんでした。
これは当たり前だけど、女性なら40才だろうが50才だろうが60才だろうが、胸がなくなる事を直ぐに理解して即答できる人なんていないでしょう。

完全に取り除くのではなく、一部でも残したいという想いがありましたが、他部位への転移の可能性をなくすために、すべて取り除くを決断されました。この決断の裏にはどれだけの涙があったか知れません。そしてその悲しみの底に落ちても仕方がない北斗さんを支える、佐々木さんを始めとする家族のサポートがあったからだと思います。

その苦渋の決断に至るまで、北斗さんは周りには言わず、仕事に打ち込まれました。いつもどおりゲラゲラ笑って欲しかったからという、ファンを思っての行動だったようです。

その決断の裏側には、何があったのか。北斗さんは主治医から言われた以下のことを書いています。

胸の事よりも今は5年先、10年先、生きることを考えましょう

大好きな旦那さん、愛してやまない子ども、そして待っているファンのために生きなければならない。生きたいという純粋な想いから、決断にいたったそうです。

アンジェリーナ・ジョリーさんの乳房と卵巣切除

北斗晶さんのように芸能人の乳がん告白で話題になった人として、アンジェリーナ・ジョリーさんも有名です。トゥームレイダーを始めとするアクション映画などで、そのプロポーションに大評判を呼んでいた彼女だけに、乳房摘出の報道には多くの人が驚きました。「世界で最も美しい女性」にも選ばれた彼女の女性としての象徴部位が失われるわけですから、ファンはもちろん何より本人にとって最大の苦悩だったと思われます。

彼女の場合、ご家族も乳がんにかかっていたそうで、遺伝性の乳がんでした。そのため再発や転移するリスクが跳ね上がって高くなります。発症の確率が推計87%という数値が出たそうです。それを受けて、3ヶ月もの長い期間と費用をかけて治療に専念されました。

そしてその後には遺伝性の卵巣がんを懸念し、卵巣と卵管を摘出しました。乳がん手術の2013年からわずか2年後2015年のことでした。

どちらも女性としては失うには大変苦しい場所です。しかも起こるかもしれないという将来的なリスクを考慮しての決断です。それを突き動かすのは言うまでもなく「生きたい」という気持ちです。生きて家族と一緒に過ごしたい。仕事を続けたいという思いです。

仏教で教えられる病苦と死苦

仏教では四苦八苦が教えられています。苦しくて大変なときに「四苦八苦した」といいますが、その語源は仏教にあります。苦しみを大別して、四つ、さらに細かく八つに分けて教えられています。その四苦八苦の中に「病苦」が教えられています。

病になる苦しみ。言うまでもなく苦しいことです。今回の癌は当然ながら、私たちは風邪ですら、嫌なものです。ですから風邪対策のためにはマスクをつけて、身体を温めて、最大限予防に務めます。熱や頭痛や鼻水や悪寒が嫌だからです。

しかし病の本当の恐ろしさはその症状ではありません。

病苦とは別に「死苦」が教えられています。死ぬ苦しみです。そしてこれが一番恐ろしい苦しみなのです。

今回のような癌は部位を問わず非常に恐ろしいものです。あらゆる病気はあっても癌の恐ろしさは最上の部類に入ります。それはなぜか。死に直結しているからです。死ぬ可能性が高いものほど、人は恐れます。口では言わずとも潜在的に知っているから、予防のために辛い選択をとるのです。

よく「死ぬのは怖くない」といっている人がいますが、それは表面的な言葉であることが多いです。怖くないと言いながら、きちんと検診を受けているのはなぜでしょうか。病気が怖いからでしょう。病気が怖いのはなぜでしょうか。痛みの症状が嫌だからというのもありますが、根本には死を恐れているからです。

絶対に病気にかからなくなることは現代医学をもってしても難しいでしょう。一部の病気は治せても、新たな病気にかかるでしょうから。そして死を避けることは絶対に不可能です。

必ず死なねばならぬのに、なぜ生きるのか。この全人類につきつけられた最大テーマに対して、仏教ではどう教えられているか、引き続き学んでいっていただければと思います。