「人間五十年…」どこかで聞いたことのある言い回しですが、誰の言葉なのでしょうか。
一番有名なのは本能寺の変で明智に追い詰められた織田信長が舞った「敦盛」でしょう。
しかし、この場面は知られていても意味や背景については知られていないようです。
今回は人間五十年の本当の意味、そこに込められた信長の死生観、そして背景の仏教知識について詳しくお伝えしていきます。
この歌の背景
時は源平合戦の真っただ中、一ノ谷の戦いで平氏は源氏に敗れました。
負けた平氏は海へと逃げますが、遅れたのが平敦盛でした。そこにすかさず目をつけた源氏の武将、熊谷次郎直実が敦盛へ一騎打ちを挑みます。
わずか16歳の敦盛が歴戦の猛者たる熊谷直実に勝てるはずもありません。組み伏せた直実は敦盛が戦死したばかりの我が子供と同じ年と知り愕然とします。
しかし、味方の源氏が見ている手前情けをかけるわけにもいきません。白刃のもと敦盛を切り伏せた直実ですが、心のうちには後悔がつのり、ついには吉水の法然上人のもとへ出家することを決意しました。
人間五十年の全文を知る
「人間五十年…」というのは、この出家した熊谷直実が世の中をはかなむ歌として登場します。まずはその全文を見ておきましょう。
思えばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘わるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生をもうけ、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
(『敦盛』より)
これはどんな意味なのでしょうか。少しずつ見ていきたいと思います。
まず、前半部分を見ていきましょう。
仏教では私たちは生まれ変わり死に変わりを繰り返す輪廻転生をしていると説かれています。だからこの世で人間として生を受けたことは長い生命の歴史から見たらほんの一時のこと。命は草の上の露や湖水に写る月より儚いものなのです。
それを「思えばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし」と表現されています。
次の「金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘わるる 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり」という部分はかつて崇徳院が土佐に流刑になったときの様子を描いた『保元物語』からの引用。
かつては栄耀栄華を誇った崇徳院も後白河によって島流しにされて無常の嵐に誘われてしまった。と言っています。
ここで無常の嵐に誘われるとは死ぬということ。「諸行無常」というようにこの世はすべて無常ですが、私たち人間にとっての最大の無常は死なのです。
人間五十年の意味とは?
そしてこの後半に、「人間五十年」の一節が出てきます。
「人間五十年」というのは人の世のこと。仏教では人間界の他にも天人がが住む天界、修羅が争う修羅界などの世界が説かれています。
そして、「下天の内を比ぶれば」と言われている「下天」というのも四天王が住まう世界のことを指しています。そして、下天と比べると非常に儚いのが人間界だと言っているのです。
なぜそのように言えるのかというと、人間界の50年が下天の1日だと説かれているから。天界では時間がゆったりとしているのに、それと比べたら人間界は本当に儚いものなのです。
そしてそのあとに続くのが「一度生をもうけ、滅せぬもののあるべきか」。
一度誕生したからには必ず死ななければならない。それが生きとし生けるものの定めである。と儚い人間の一生を歌っているのです。
信長はなぜこの歌を好んだのか
織田信長はこの歌を好み戦の前にも進んで舞ったと言われていますが、なぜ信長はそこまでこの歌にほれ込んだのでしょうか。その理由は「戦での覚悟を決めていたから」ではないかと私は思います。
戦国の世の中は安寧な現代とは異なり、いつ死ぬかわからない危険で満ち溢れていました。それが戦となれば言わずもがな。手柄を挙げるため大将首は誰もが血眼になって追い求めるものでした。
そんな中で「人間五十年」と人の世の儚さを歌うことで「今日死ぬかもしれない」と自分に言い聞かせ、「だがそれでも死ねない滅びるのは相手の方だ」と気合を込めるための儀式こそ、信長の敦盛だったのではないでしょうか。
敦盛の最後の一節の意味は?
あえて先ほどは飛ばしていましたが、「人間五十年」の最後の一節について詳しく見ていきましょう。
これを菩提の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
まず「口惜しい」とは悔しいという意味ですが、何が悔しいのでしょうか。この部分には色々な解釈がありますが、多くは「これも御仏の意志だとわかっているが、悔しい限りだ」とのように訳されています。
「御仏の意志」というのはわかりにくいですが、ここでの意味はいわゆる「天命」といったものでしょう。「ここで朽ち果てるのが自分の運命だが、悔しい限りだ」と言っているのだと思います。
前段では信長は戦に際して覚悟を決めていたと述べてきましたが、本当に死が迫ったときに残るのは後悔のみなのです。それを『大無量寿経』というお経には次のように説かれています。
大命将終悔懼交至
(大無量寿経)
これは「大命まさに終わらんとして悔懼(けく)こもごも至る」と読みます。命がまさに終わろうとするその時、やってくるのは後悔と恐ればかりでそれ以外にはないのだと教えられたお言葉です。
「戦国の魔王」とまで言われ恐れられた織田信長。彼は死を常に覚悟していましたが、天下統一を目前に死を迎えるときの心境は「口惜しい」ものであったのだと思います。
仏教って暗い教えなの?
このように聞くと「仏教は超暗い教えで救いがない…」と感じる方もいるかもしれませんが、仏教は無常の世の中にあって崩れない幸せを説いた教えです。
諸行無常ということはどんなものも風化し、最後は消えていく。それは私たちの命であっても例外はありません。しかし、すべてが滅びゆく世の中で滅びない幸せがあるんだと教えられているのもまた、仏教なのです。
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