年末にJRAコラボ企画で「おそ松さん」アニメ新作特番が放送決定しました。
そして舞台版おそ松さん「おそ松さん on STAGE ~SIX MEN’S SHOW TIME~」も大反響。
DVDの予約が開始するとAmazonでベストセラー1位となり、アニメ放映開始から1周年とは思えないくらいまだまだ話題の尽きない「おそ松さん」。
20代からの仏教アカデミーでは、そんな「おそ松さん」の解説コラムを今年1月から21本連載。7月からは「おそ松さんから学ぶ勉強会」もスタートしています。
先日大阪で開催した勉強会では参加者の皆さんと意見交換をしながら、14話「トド松のライン」から学びました。
第14話「トド松のライン」のあらすじ
事の発端はトド松がある昼下がり、トド松の「ジム行ってくる」という一言が全ての始まりでした。
おそ松「え!?え~!トッティえ~!!ジム…通ってんの?」
トド松「うん」
おそ松「聞いてないんだけど!」
トド松「言ってないからね」
おそ松「ええ~~!?何それ!?なんでそういうこと言わないの?全然知らなかったあ」
トド松「ただのジムだよ?そんなのわざわざ兄弟に言う?」
その後トド松は囲碁をやっていることも兄たちに言っておらず、 なんと一人で(!!)富士山に登っていたことまで兄弟に黙っていたことが発覚します。
おそ松「お前っていちいち言わないことが多いよね。なんで?
兄弟だから言おうよ、報告し合おうよ!?」
チョロ松「トッティ。はっきり言うね。
お前さんは、心が無い。
人に興味が持てないドライモンスターなんだよ」
おそ松「ぶっちゃけ人に興味ないでしょ」
トド松「ある!ちゃんと感情あるから!」
おそ松「じゃあなんで富士山は言わないの?」
トド松「べ、別に、言ったところで、そんな興味ないかなと思って…」
おそ松「はい出ました『興味ない』!!
一緒なんだよ~相手が興味ないだろって思うことはさあ、たとえ反対の事をされても自分も興味持てないって証拠なんだ~冷めてるね~ドライだね~」
トド松「じゃあ聞くけど!!!何があった時報告すればいいの!?
これは皆に言うべき、これは言わなくていい、そのラインがわかんないんだけど!?」
トド松がドライモンスター?おそ松たちがベッタリ過ぎ?
果たしてトド松は本当に”ドライモンスター”なのでしょうか。
実際問題、私たちは家族に何でも報告しているかと考えてみると、別にトド松がドライモンスターなのではなく、誰にでもこういう「いちいち報告したくない」部分ってあるように思います。
勉強会の中でも参加者の皆さんからこんな感想が出ました。
「トッティの気持ち分かるかも。ジム行き始めても家族に一々言わないかもしれない」
「おそ松みたいに『何か変化あったら報告しようよ』っていう感覚があまり自分にはないので、自分にない感覚を持ってるおそ松に惹かれる」
「山に登るときはさすがに家族に行ってから行きますね(笑)」
等、皆さんも六つ子のように「報告すべきライフイベントはここから」は色々なようです。
どのラインからなら言ってもいい?その違いは「業界」による
おそ松「富士山は絶対言うべきです!」
トド松「ちなみに八ヶ岳登った時は…」
おそ松「山の問題じゃねぇ!やっぱわかってねぇな!」
チョロ松「俺達何も富士山大好きっ子ブラザーズじゃないからね」
トド松「そうなの?」
おそ松「まず登山をやってること知らないからそこから報告しろって話」
トド松「う~ん…難しい…」
おそ松・チョロ松「「難しいかなァ!?」」
このように、「トド松のライン」では「報告すべきライフイベントはここから」と思うラインが兄弟間で全く異なり、議論を重ねますが、結局一致した意見は出ませんでした。
どうしてこのような違いが出てくるのでしょうか?
仏教では私たち人間は「業界(ごうかい)」という世界に生きていると教えられています。
以前こちらの記事でもご紹介しましたが、
今回はより深くこの「業界」について解説させて頂きたいと思います。
業とは「ごう」と読み、行為という意味で、業には三種類あります。
まず身体でやる行いである、身業(しんごう)。
次に口で言う行いである口業(くごう)。
そして心で思う行いである意業(いごう)。
たとえ同じDNAを持ち、同じ布団で並んで眠る六つ子であっても、全く同じことをやり、言い、思ってきたということはないでしょう。
人間はそれぞれの独自な「業界」で生きているので、業界が違うと、物事の見え方も変わります。
だから「富士山は絶対言うべきです!」というおそ松もいれば、「べ、別に、言ったところで、そんな興味ないかなと思って…」思うトド松もいる訳です。
「おそ松さん」には「にゃーちゃん」というアイドルが登場します。
アイドルオタクであるチョロ松は「超絶かわいいよ!にゃーちゃん!」と神のように崇めているのに、おそ松は「顔は結構普通じゃない?クラスにいるレベル」と言う話がありました。
六つ子であっても人間はそれぞれの独自な「業界」で生きているので、業界が違うと、同じ女の子を見ても見え方が変わるのです。
これを仏教の言葉で「一水四見」といいます。
一水四見(いっすいしけん)とは、唯識のものの見方。
認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
という意味で、水という同じものを見たときに、天上界の天人には水晶に見え、魚にとってはお家、餓鬼にとっては炎に見えるそうです。
人間同士でも同じ。
その人その人の業界によって、同じものを見ても、全く違う捉え方をします。
だから「家族にどこまでライフイベントを報告するかというライン」も、その人の業界によって全く変わってくるのですね。
「これ以上は六つ子でも言えない」ラインがある
長時間兄たちにしつこく責められ、しまいにカチンときたトド松は
「もう隠し事は一切しないことにする!!それでいいんでしょ?!」
と言い、自分が「へそのしわ」フェチであることをいきなり暴露。さらに『兄弟ランキング』を暴露しようとするのですが…
兄たち「やめてえええええ!!!!!」
おそ松「もうやめて!!!そ、そんなの言わなくていいから!!!
リスクが高すぎる!今後の生活に支障をきたす…」
チョロ松「兄弟ランキングぅ?!最下位だった場合死ぬしかないよぉ!!」
六つ子の兄弟なら何を言っても受け入れてくれそうだし、私たちにも「この人になら何でも言える」という友人や家族はあるでしょう。
しかしそれはあくまで、「言える範囲なら何でも言える」というだけ。
「兄弟ランキング」を発表されそうになったおそ松が「今後の生活に支障をきたす…」 と言っているように、私たちの思ってることを全て映像化する機械があったら、家族であっても人間関係は崩壊してしまうでしょう。
「寂しさで心臓がキュッとなんだよ!」どころでない孤独
このように私たち人間は誰でも「これ以上は言えない」というラインを持っているので、心の中に秘密の扉を持っているような状態で、非常に孤独なのです。
己のやってきた行為でできた業界で生きている人間は、誰にも言えない部分を持っている以上、100%分かり合うことはできない。
これを仏教の言葉で、「独生独死 独去独来(どくしょうどくし どっこどくらい)といいます。
独りで生まれ、死に、この世に来て、去っていく。
そういう存在が人間なのです。
「おそ松さんの六つ子は生まれてきたとき一緒じゃん」と思われるかもしれませんが、ここでいう「独り」とは、心の孤独。
誰にも言えない部分を持っている私たちの孤独は本当に根深い孤独でしょう。
おそ松はこのエピソードで、兄たちにライフイベントを報告しないトド松に
言えよ!寂しさで心臓がキュッとなんだよ!
と言っていますが、この孤独は心臓がキュッとなるレベルではない、人間という存在に根ざした孤独なのです。
こんな暗い話聞きたくない!と思われるかもしれません。
しかし本来分かり合えない存在と知ってこそ、相手に対する許しと感謝が生まれます。
大切な人に「寂しさで心臓がキュッとなんだよ!」と言われないように、こちらの気持ちを伝え、相手を理解する努力を重ねていきたいですね。