夏アニメの注目作『活撃 刀剣乱舞』が始まりました。
人気ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』のアニメ化第2弾で、あの『Fate/zero』を生み出したスタッフが製作に関わったこともあり夏アニメの中でも群を抜くクオリティと人気の作品です。
明日は第3話が放送。
鶴丸国永を6振育成している筆者は、いつになったら鶴さんが登場してくれるのかワクワクして仕方ありません。
次回こそは登場してほしいですね!
前回記事では『活撃 刀剣乱舞』でメインキャストとして登場する人気刀剣男士・鶴丸国永のキャラクターを紹介。
鶴丸が「驚き」を求める理由から分かる人間が本質的に抱える心の闇を、隠れ鶴丸クラスタの筆者がお伝えしました。
今回は心の深層に存在する闇についてより詳しく解説し、鶴丸も持つその闇を無くすために仏教思想が教えることを解説します。
※参考 前回記事はこちら
「驚きじいさん」鶴丸国永が「驚き」を求める理由
「わっ!…あっはははは!驚いたか?ああ、いやいや、すまんすまん」
「帰ってきたな。どう驚かせてやろうかな」
「あぁ。驚きの結果を君にもたらそう」
「お、いいねえ。こういう小さな驚きもオツなもんだ」
数あるセリフのうち、「驚き」という言葉を含むのが実に4割近く。
自分の主人であるはずのプレイヤー、審神者に対してはもちろん、戦闘中の敵に対しても驚かせ、また驚かされることを求めて止まない刀剣男士が鶴丸国永です。
『刀剣乱舞』で活躍する刀剣男士は、ゲーム中のプレイヤーに当たる主人公・審神者が持つ「物の心を励起する」能力により刀剣から生み出された存在。
鶴丸国永もそのうちの一人(一振)であり、歴史改変を目論む「歴史修正主義者」を倒すために呼び出された戦士です。
銀髪に金眼、衣装は全身白の着物に羽織、透けるように白い肌と線の細い体型。
儚げなルックスの美青年ですが、第一印象を良い意味で裏切るキャラはまさに本人のセリフにもある「予想外だったか?」そのもの。
そんな外見と性格のギャップで高い人気がある鶴丸国永の代名詞は「驚き」でしょう。
鶴丸はなぜここまで驚きに執着するのでしょうか。
その理由はこのセリフに表れています。
「人生には驚きが必要なのさ。予想しうる出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」
驚きがなければ、生きていても心が死んでいるのと同じだと言う鶴丸。
ちょっと大げさじゃないかという印象も持たれそうな鶴丸の人生観ですが、考えてみれば人間の実態を的確に表した言葉ではないでしょうか。
実際、ネットニュースや政界スキャンダルから始まり、夏アニメの情報や友人知人の恋愛模様やライフイベントの変化まで…
日々私たちの心を躍らせるものは「驚き」です。
小林麻央さんの訃報報道から見えてくる「驚き」を求める人間の本質
6月23日、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんの訃報が流れ、ニュースはその話題で持ち切りになりました。
34歳という若さでありながら乳がんで亡くなったことなどを報道各社がこぞって取り上げ、市川海老蔵さんの会見に涙した方も多かったでしょう。
しかし一方、ネット上では冷ややかな意見が溢れていました。
銀座で「小林麻央さんが亡くなりました。感想はありますか?」って取材に絡まれたから「嬉々として報道するマスコミに強い憤りを感じます」って答えといた。絶対に使われないだろうけど。
@domoboku
有名人の訃報をこぞって報道するマスコミに、まるで不幸を餌にしているようで不快だという意見が支持され、このツイートは10万以上リツイートされていました。
さらにその一方でこのようなツイートをしている方もいます。
あまりオタクじゃない人て、普段の生活で感情のアップダウンになる要因がないんだよ…。
だから恋愛や他人の不幸話のカウンセラー役で感情の運動をしたがるんだろうな、て思う。
その点ヲタの動揺のしやすさよ。
推しのイメージカラーの小物見ただけで尊いとか言い出す。
わかる。
@Fen109
小林麻央さんの死亡をメディアが率先して報道したのは不謹慎に感じられるところもありますが、多くの大衆が有名人の訃報という「驚き」を求めているのも理由の一つかもしれません。
そして報道関係者を非難していた方々も「驚き」を一切求めていない訳ではないのです。
夢中になっているアニメやゲーム、アイドルの情報がいち早く流れる公式アカウントをフォローしているのも、◯◯速報系の情報サイトをこまめにチェックするのも、自分たちがときめく「驚き」を求めてのこと。
有名人の芸能ゴシップには興味の薄い筆者も、アプリゲームの運営が炎上していたら野次馬のように速報をチェックしてしまいます。
人によって性質は違えど「驚き」を求めずにいられないのが私たち人間なのかもしれません。
鶴丸国永は平安時代に生まれた刀なので、人間に置き換えるなら1000歳ということになります。
1000年の時を過ごし、移りゆく人間の世を見つめてきた鶴丸は人間の心というものは「驚き」で覆い隠さなければ
「予想しうる出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」
と言えるほど、本質的に虚しいものだと気付いたのではないでしょうか。
今日、人間の文明は平安時代とは別世界のように発展し、鶴丸の生まれた時代になかった「驚き」でこの世は埋め付くされています。
しかしそれでも人間の本質は何一つ変わっていない。
「驚き」がなければ心が死んでいくのが私たちなのです。
鶴丸の気づいた心の闇。人生を本質的に虚しくさせる無明とは何か
1000年の昔から、私たちが文明の発展という「驚き」で覆い隠してきた人間の心の闇を、仏教用語で「無明(むみょう)」といいます。
漢字の通り、明かりの無い暗い心が私たちの心の奥底にあり、仕事や趣味、ライフイベントといった私たちが求める楽しみで普段は覆い隠されています。
しかし学園祭の翌日や散々盛り上がった仲間とのコンパ、オフ会の帰り道…
楽しみの絶頂の後のふとした瞬間に、“ぽっかりと心に穴が空いたような”虚しさを感じることはないでしょうか。
この虚しさの元にあるのが、普段「驚き」で隠されている「無明」なのです。
そんな暗い心を隠すがごとく、人間はより新鮮な「驚き」を追い求め、科学を発展させてきました。
しかし仏教では心の奥底にある「無明」が無くなって初めて、「驚き」は純粋にに私たちを楽しませるものとなるのだと教えられます。
江戸時代、徳川家康の側室に英勝院(えいしょういん、梶とも称される)という女性がいました。
大変聡明なことで知られる英勝院には色々なエピソードが残っていますが、特に有名な「うまいものも塩、まずいものも塩」という
お話があります。
家康が家臣たちと談笑をした時に「およそ食べ物のうちで、うまいものとはどんなものか」と尋ねた際に、他の者たちがそれぞれが答えをならべたが一致はせず、家康がそばで控えていた梶にも尋ねると、「それは塩です」と答えた。
「塩ほど調法で、うまいものはありますまい」という意外な理由に一同が感心した。
「では一番不味いものは何か」と梶に尋ねると、彼女は迷わずに「それも塩です。どれほど美味しきものでも、塩味が過ぎれば食べられません」と答えたという。
皆は彼女の聡明さに感心し「これ男子ならば一方の大将に承りて、大軍をも駆使すべきに、惜しいことだ」とささやきあった(『故老諸談』)。
このエピソードで英勝院は食べ物の美味しさを決めるのは食材ではなく、塩加減と答えました。
その塩加減は、料理人の腕によって決まります。
つまりどんな高級な食材を使っても料理人の腕が悪ければ不味い食べ物が出来上がりますし、ありふれた食材でも料理の達人が調理すれば最高のごちそうになるということです。
英勝院の言ったことは私たち人間の心にも当てはまります。
私たちは心の奥底にある暗い部分を隠すため、楽しみや喜びといった「驚き」を得ようとして生きていますが、心の暗い部分が無くなれば「驚き」を本当の意味で純粋に楽しめるようになれるのです。
逆に言うと周りに自分を驚かせ、楽しませるものが揃っていなければ幸せになれないという考え方は幸せの本質から外れているのでしょう。
「人生には驚きが必要なのさ。予想しうる出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」のが私たち。
しかしそんな人生を「驚きが無くても心から幸せだが、驚きがあればもっと楽しめるなあ」と鶴丸も思えるようになことが仏教には明らかにされています。
鶴丸が仏教を聞いたら「こりゃ驚いた」と喜んでくれるかもしれませんね。