【2018/11/16投稿 ※2020/05/24加筆修正しています】
「鵺と呼ばれる」は刀ステの『悲伝』で登場するオリジナルキャラクター。
物語の重要な鍵を握る人物である「鵺」は、公演期間中から大きな話題を集めてきました。
数ある『刀剣乱舞』のメディアミックス作品の中でも、これまで登場したことのなかった特徴を持つ「鵺」はファンによって考察され、様々な解釈が広がっています。
筆者は京都劇場で鑑賞したときから鵺たん沼にハマり、鵺見たさにアーカイブ配信やBlu-rayを購入、繰り返し鑑賞させて頂いています。
今回は「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」の深いストーリーを改めて振り返り「鵺と呼ばれる」を生み出したのは何だったのかを考えてみたいと思います。
※「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」ストーリー全体についてはこちらのコラムにてご紹介させて頂いています。
足利義輝の無念が生んだ「刀剣男士」が登場。刀ステ『悲伝 結いの目の不如帰』あらすじ(ネタバレ注意)
「舞台『刀剣乱舞』」通称刀ステのシリーズ集大成として上演された「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」。
シリーズ全体を通しての伏線を回収していくストーリー構成と衝撃の結末が、多くの観客を驚かせ、話題を集めました。
中でも「鵺と呼ばれる」は『悲伝』の冒頭から登場するオリジナルキャラクターで、劇場では「鵺」が出てくる度にオペラグラスを構える方がたくさんおられました。
既存の『刀剣乱舞』ファンにとっても初めて出会う「刀剣男士」が「鵺と呼ばれる」だったのです。
舞台は永禄8年に起こる永禄の変。
室町幕府第13代将軍である足利義輝が襲撃、殺害される政変です。
『刀剣乱舞』の主役である刀剣男士たちの敵・時間遡行軍が永禄の変に出没、足利義輝が死なないよう歴史改変を図っていました。
刀剣男士たちは主(あるじ)である審神者(さにわ)の命を受けて出陣し、時間遡行軍を殲滅していきます。
出陣部隊の中にいた三日月宗近は元主・足利義輝と遭遇。
義輝が三日月に斬りかかり刀を交わしたとき
「儂は……幾度死んだのだ!?」
と永禄の変での死を繰り返していることに気づきます。
「……まだじゃ……まだ終わらぬ……
儂は……こんなところで……死ぬわけには…
刀たちよ…」
この義輝が最期に抱いた思いが、収集していた複数の刀に宿り歴史に異変が起こっていきます。
死した義輝の体から、おびただしい量の血が流れ出る。
その血は地面に染み込み、桜の根に吸い上げられていく。
満開に咲き乱れる狂い桜が、血に赤く染まっていく。
やがて、一輪の血桜が地面に舞い落ちる。
血桜が真紅の花弁を散らすと、ひとりの剣士が顕現する。
刀剣男士から、のちに《鵺と呼ばれる》こととなる剣士だ。
一切まばたきをせず見開いたままの大きな瞳、角のようなハネがある銀髪、黒い羽にも見える毛皮のようなものが肩にある戦衣装を着た異形の姿をした剣士が「鵺と呼ばれる」。
鵺が人の身を得て最初に目にしたのは、己の刀と肉体、そして足利義輝の遺体でした。
義輝の身体を抱き起こした鵺は、義輝の「死」を理解した途端、天が震えるかのような咆哮をあげます。
顕現してすぐは言葉も発さず、吹き上がる強い感情を咆哮に変えているように見える鵺ですが、夢の中で義輝の遺体と対面してから人の言葉を少しずつ発するようになります。
「……つよくならなくちゃ……
もっとつよくならなくちゃ……
ぼ、ぼくは……
よしてるさま……
し、しなせない……」
目を覚ました鵺に近寄る黒い影。
義輝を救おうとする鵺に時間遡行軍が目を付け、味方に引き入れようと近づいていたのでした。
時間遡行軍たちの中心には「舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」で刀剣男士たちを苦しめた強敵「黒甲冑」の姿が。
黒甲冑「名もなき刀よ……
道半ばで果てた義輝の無念がお前の力となる。
その心がお前に宿り、強さとなるのだ」
鵺と呼ばれる「……ぼくは……つよくない……よしてるさま…しんじゃう」
黒甲冑「……我らの悲願を遂げるためには、刀剣男士たちを排除しなければならない」
鵺と呼ばれる「……とうけん……だんし……」
黒甲冑「……命が下りた……作戦を決行する……あらゆる時代へと、やつらをおびき出すのだ」
鵺と義輝を突き動かす「死」の運命を乗り越えたいという願い 二人が陥っている落とし穴から分かること
鵺と呼ばれる「……よしてるさま……」
義輝「奇妙じゃ……儂はお前のことを知っておる。
何度も会ったことがある」
鵺と呼ばれる「ぼくは……よしてるさま……おたすけします……」
義輝「……儂を助けるじゃと?」
鵺と呼ばれる「そのためにぼく……たくさんしゅつじんして……つよくなった……
しなせない……
れきしかえる……」
義輝「お前は、この先に起こりうる未来を知っておるのか?」
鵺はついに生前の義輝と接触。
黒甲冑も現れ、義輝が明日死ぬ運命であり、その未来を変えてみせようと伝えます。
黒甲冑「我らは時を遡りしもの……
足利義輝よ、我らがあなたをお救いする。
さだめられた歴史に抗い、あなたを死から救済してみせよう」
義輝「……儂は……
父が将軍の頃から、京を追われては近江に逃れ、
京に舞い戻ってはまた近江に逃れる、
その屈辱の中に生きてきた。
かつては皆がひれ伏した将軍の威光は、もはや傀儡に成り果てていた……
だから儂は、将軍の威光を再びこの手に取り戻そうとしたんじゃ……
それなのに、
儂は道半ばで果てるというのか?」
鵺と呼ばれる「しなせない……
よしてるさま……ぼくがまもる……」
己の死期を知った義輝は、鵺とともに歴史を変えようとしていきます。
一見「悪役」のように見える鵺と義輝ですが、彼らは私たち人間のありのままの姿を教えてくれています。
もし私たちが明日殺されると未来からやってきた者に言われたら、自分の死の定めを変えたいと思うのが自然ではないでしょうか。
前作「舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」で、同じく時間遡行軍とともに歴史改変を試みた「弥助」を演じた日南田顕久さんもパンフレットのコメントで
「舞台『刀剣乱舞』表向きは善と悪の戦いの様に見えますが、正義と正義の戦いです
それぞれが、愛する人の為、己の為、歴史の為、現実を受け入れる為、様々な信念が錯綜しています」
とおっしゃっているように、人間なら誰しも抱く心が「刀ステ」には繊細に描かれています。
しかし鵺と足利義輝の目指す未来には、大きな落とし穴があります。
彼らの陥った落とし穴を知る鍵になるのは「二条の狂い桜」。
『悲伝』の冒頭で目を引く、劇場の舞台左右上部を華やかに彩る桜です。
「奇怪じゃ……桜の季節は過ぎたというに、
ぬしは狂い咲きの桜か……
それとも、儂と共に散るのを待っていたか……だが……」
死地の足利義輝が「狂い咲きの桜」と呼んだ桜。
時間軸の乱れで、咲くはずのない季節に咲いていたこの桜は、あることを象徴しているように思われます。
狂い桜は「無常」の象徴 桜と無常観の密接な関係
「日の本に生きる者たちは、千年、二千年と、のちの世まで
こうして桜を愛でることができるじゃろうか」
ある目的のために本丸を去った刀剣男士・三日月宗近と邂逅した足利義輝は二条の狂い桜を前にこう言います。
義輝は桜を「母たる花」と言っている場面もあり、日本人にとって非常に身近な花が桜です。
桜は仏教で説かれる「無常観」の象徴として、日本人の美的感覚の根底に在り続けてきました。
仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。
単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。
「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。
「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。
『平家物語』の冒頭でもよく知られる「諸行無常」という言葉は、仏教哲学の根本思想です。
諸行とはこの世にあるすべてのもの、無常とは常が無く変わっていくという意味で、この世に変わらないものは一つもないという意味です。
「千年、二千年と後の世までこうして桜を愛でることができるだろうか」という義輝の言葉も、諸行無常の世界で、日本はどう変わっているだろうかという思いが感じられます。
今年は新型コロナウイルスに関連した感染症が世界でパンデミックを起こし、人々の生活や街の姿は一気に様変わりしました。
以前のような日常はすぐには戻らないと言われており、まさに「無常」はこの世の摂理だと筆者も痛感する毎日です。
そして私たちにとって一番身近な「諸行無常」が自身の死です。
仏教には「生死一如」という言葉もあり、生きとし生けるものすべてにとって、生と死は紙一重だと説かれています。
『悲伝』のパンフレットで足利義輝役の中河内雅貴さんは
「儂の生き様、儂の死に様を見てほしい」
とコメントされておられました。
まさに、生と死は本来切っても切り離せないものなのです。
しかし一方で人間は自身の「死」と「生」を切り離して考えてしまう存在だと仏教では説かれています。
これは筆者自身もですが、「死」が必ず自分に訪れるとはどうしても思えないもの。
人間は「常」がどこかに存在すると思わずにいられないし、そう思わなければ生きていけません。
永禄の変で死ぬと知らされた義輝のように、いざ自身の死が迫ると「準備ができていない」としか思えないのが私たちなのです。
そして歴史をどれだけ改変しても、いつか何らかの形で死は訪れます。
鵺と足利義輝の陥っている落とし穴は、永禄の変の先に永遠の命があるように錯覚しているところにあるのではないでしょうか。
鵺と義輝のセリフから分かる、私たち人間の深い迷い
頭では「諸行無常」がこの世の真実と分かっていても、自分に「無常」という死がやってくるとはどうしても思えない。
「無常」であることを本心から受け入れることはできない私たちの深い迷いを、仏教で「四顛倒」といい、人間が持つ4つの誤った考え方だと説かれています。
仏語。真の仏の智慧からみれば誤っている四つの考え。
(デジタル大辞泉)
「顛倒」とは逆さまということで、逆立ちして世界を見ているような状態が人間の本当の姿ということ。
その人間が持つ、四つの誤った見方の一つが「常」です。
私たちにとって避けられない無常である「死」を忘れ、あたかも「常」がある、つまり自分の命がいつまでも続くような錯覚をしているのがすべての人間の姿なのです。
「しなせない……よしてるさま……ぼくがまもる……」
「しなない……ぼくたちが……まもる」
と義輝に繰り返し言う鵺は、私たち人間のありのままの姿ではないでしょうか。
義輝と鵺は三日月宗近とこんな会話を交わしています。
義輝「そうか……お前は、この儂などよりもずっと長い間、この国を見てきたのであろうな……
この儂の最期も見て来たか?
儂の脳裏に現れる死の光景は、繰り返される歴史なのか?」
鵺と呼ばれる「しなない……ぼくたちが……まもる」
義輝「力を貸してくれ三日月宗近よ。
儂は、まだ死ぬわけにはいかん
それともお前は、儂の最期を見届けにきただけか?
(中略)
儂に、歴史通りに死ねと申すか。
この身の行く末を知ってさえなお、歴史のままに果てよと」
三日月「足利義輝よ……
おぬしの行く末は、おぬしだけのもの。
想うままに生きるがいい」
ここで一見、歴史改変を認めるような言葉を三日月は返します。
しかし長い目で見れば「おぬしの行く末」は100%訪れる「無常」ともいえるので、深い意味があるのかもしれません。
義輝「時を越えて、儂を連れて行ってくれ」
時鳥「つれていく?」
義輝「ああ、この永禄を越えた、まだ見ぬ歴史の先にじゃ……」
足利義輝は鵺に「時鳥」(ほととぎす)という名を与え、死の定めを変えてくれる希望を時鳥に託します。
しかし「永禄を越えた、まだ見ぬ歴史の先」に行けたとしても、義輝は不死身になる訳ではありません。
どれだけ自分の死期を先延ばししても、いつか必ず訪れる「無常」という確実な死の定めを受け入れられない人間の姿が、そこにあります。
ヒトの根深い迷いが生み出したのが「鵺と呼ばれる」なのではないでしょうか。
「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」というタイトルにある「不如帰」。
義輝は不如帰について
「……人を死出へと誘う冥府の遣いよ」
「死出の山からやってくると言い伝えられる、死の遣いの鳥よ。」
と繰り返し「死」の象徴として語っています。
死という己の無常と向き合っていくことになる義輝と鵺の物語が『悲伝』なのかもしれません。
改変を試みるも変わらなかった永禄の変。己の無常を突きつけられた義輝は…
「れきし……
ひとのれきし……
おわらせはしない……!」
鵺は大阪冬の陣で三日月宗近と対峙したとき、こんな言葉を口走ります。
かつて地上で繁栄した恐竜の姿がどこにも見当たらないように、いつか人類も絶滅する時が来るでしょう。
ひょっとしたら『刀剣乱舞』の舞台である2205年には、人類の滅びが見えているのかもしれません。
自分たち人類が滅んでいくという無常も、人間には到底受け入れられないこと。
時間遡行軍が必死に歴史を改変しようとしている理由が、もし人類の滅びという無常を「常」にしようとしているなら…
「刀ステ」はまさに「正義」と「正義」の戦いといえるでしょう。
『悲伝』で義輝と鵺は歴史改変を成し遂げることは叶わず、永禄の変で死を迎えることになります。
「この国が……
どこまでも在り続けることができるよう、
安寧の世をこの手で作りたかった……
だが、もはやここまで……
儂の生とはなんだったのだ……」
疫病も戦も無い「常」という平和がどこまでも続くことがないのは、この世の残酷な真実。
その真実を到底受け入れられない人の心が現れる、筆者は涙無しに見られない場面です。
避けられない死という無常を突きつけられた義輝は「儂の生とはなんだったのだ」と叫びます。
いつか必ず無常という死が訪れるなら、いま懸命に日々を生きる私たちの生に一体何の意味があるというのか。
この無常を静かに見つめることが「無常観」です。
仏教では「無常観」は決して人生を悲観することではなく、人生を意義あるものにするための第一歩だと教えられています。
自分の死後、信長をはじめ様々な武将が天下を取ることを聞いた義輝はこう言います。
「古き時代は終わり、新しい時代がはじまる。
世はそれの繰り返しじゃ。
二条に咲く狂い桜は、
それを儂に教えてくれようとしたのかもしれんな。
古き時代とともに、散りゆくために」
目前に迫った「無常」を受け入れられず、新たな「刀剣男士」を生み出すほどに強い「常」への執着を露わにした『悲伝』の足利義輝。
しかし義輝は最期に無常を受け止め、「無常」の象徴である二条の狂い桜に見守られるように散っていきます。
その美しい情景は、無常を静かに見つめることの大切さを教えてくれているのかもしれません。
※「悲伝 結いの目の不如帰」のセリフ紹介はこちらから引用させて頂きました。 (より深く刀ステの感動を味わえるので、とてもオススメです!)
末満健一(2020)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」ニトロプラス