【刀ステ維伝・感想】「朧の志士たち」の意味とは?坂本龍馬のセリフから知る、物語の謎を解く鍵 ※ネタバレ注意

近年話題を集めている2.5次元舞台の中でも不動の人気を誇る「舞台『刀剣乱舞』」。

昨年夏にシリーズ集大成となる「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」が上演された刀ステは新たな境地に突入しました。

新しい物語の幕開けとなる新作が2019年11月22日からスタートした「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」です。

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※「刀ステ」って何?という方はこちらのコラムでご紹介させて頂いています。

【刀ステ悲伝・感想】三日月宗近から「悲伝」の本当の意味を考察する(大千秋楽公演ネタバレ有り)

【維伝・あらすじ】人気イベント「文久土佐藩 特命調査」の物語を描いていく『維伝 朧の志士たち』※ネタバレ注意

※このコラムでご紹介している「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」のあらすじ等は、筆者が12月12日の兵庫公演を鑑賞させて頂き、記憶している内容をご紹介しています。セリフやストーリーに誤りがある可能性があります。また大千秋楽ライブビューイング後に修正を入れさせていただく予定です。

今年夏に上演された「慈伝 日日の葉よ散るらむ」では「悲伝 結いの目の不如帰」の後、新たな本丸にやって来た刀剣男士たちの姿が暖かく切ない物語の中で描かれました。

新作「維伝 朧の志士たち」は「慈伝」とは打って変わり新しい物語が始まります。

公演パンフレットにて脚本・演出の末満健一さんは「維伝」を「第二章の幕開け」と表現。

「維伝」の「維」は、「つなげる」という意味も持ちます。

これまでの刀ステをこれからの刀ステへつなげていくための、新たな第一歩です。

坂本龍馬たち、幕末を駆け抜けた志士たちの心を借りながら、刀ステはまたひとつの扉を開こうとしています。

と仰っているように、さながら幕末の維新のように、刀剣男士たちの新たな物語の幕開けとなる作品です。

「維伝」は原作となる刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』で多くのプレイヤーが参加した人気イベント「特命調査 文久土佐藩」をベースにしたストーリー。

筆者は岡田以蔵のファンであることもあり「特命調査 文久土佐藩」は原作ゲームの中でも特に大好きなイベントで、今回舞台化されたことが何よりも嬉しかったです。

肥前忠宏による「入電」によって出陣が決まり、5振りでの出陣になるところやイベント内でのセリフに至るまで、原作ファンは胸が熱くなる再現度。

南海太郎朝尊が作っていた「時間遡行軍の死体を使って作った罠」も大変忠実に再現され、まさかあの罠を実際にお目にかかる日が来るとは思いませんでした(笑)

そして原作ゲームを実写化するだけで収まらないのが「刀ステ」の魅力。

刀ステでは坂本龍馬が登場、刀剣男士たちと巡り合い、行動を共にすることになります。

「文久土佐藩」は既に歴史改変されてしまった後の時間軸である「放棄された世界」で、史実では死んでいるはずの吉田東洋が率いる土佐勤王党が恐怖政治を敷いていました。

そして吉田東洋を暗殺するはずの歴史上の人物・武市半平太、そして「人斬り以蔵」として知られる岡田以蔵が吉田東洋の元で恐怖政治に加担していたのです。

坂本龍馬の佩刀として知られる陸奥守吉行は、せっかく元主に会えたのに

「おまんには、出会いたくなかったのう」

というようなことを冒頭に言います。

史実では志半ばで暗殺されたと言われる、坂本龍馬の定めを知っているからこその発言。

しかし物語が進むにつれ陸奥守吉行の「出会いたくなかった」感情は、「文久土佐藩」の核心を鋭いカンで察知していたことが分かります

※この後「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」の核心に迫るネタバレがあります!未鑑賞の方はライブビューイング・配信・Blu-ray等でご覧になってから読まれることをオススメします。

「維伝 朧の志士たち」の見どころ、文久土佐藩の動く街 目が離せない演出には深い意味が…

「わしが脱藩せんかったら…武市さんを説得できていたら…」

「維伝」の序盤に描かれたのは、史実に伝わる岡田以蔵・武市半平太の死

岡田以蔵ファンの筆者はまさか刀ステでこの師弟の運命が描かれるとは思わず、開演すぐのこの場面でもう涙がボロボロ出る状態でした。

「死にとうない!死にとうない!」

と狂ったように死に怯える以蔵の首を処刑人が落とした後、坂本龍馬が二人の凄惨な最期を聞いた場面が描かれます。

過激化する土佐勤王党と距離を置き、脱藩した坂本龍馬は友として仲間として親愛の思いを抱いていた二人の、あまりに酷い最期に強い衝撃を受けました。

「わしが脱藩せんかったら」

「武市さんを説得できていたら」

坂本龍馬を強く苛んだ後悔の思いが「文久土佐藩」の謎を解く鍵となっていくのです。

「兼さん、この場所ってさっきも通らなかった?」

堀川国広は相棒である和泉守兼定と特命調査で訪れた「文久土佐藩」を視察する中でこう言います。

堀川国広はその後もこのセリフを繰り返し、「文久土佐藩」の街に漂う異様な気配をいち早く感じ取っていました。

「維伝」ではステージが目まぐるしく変わり、刀剣男士や坂本龍馬たちが動き回る土台がキャストによって激しく入れ替わり動いていきます。

時間遡行軍が登場とともにステージを動かし、そのまま戦闘シーンが始まるような場面もあり、舞台作品ならではの大変見応えのある演出です。

最初筆者は、目まぐるしく変わる舞台演出にただただ圧倒されていましたが、なんとこの演出が物語の核心を表していることが後に判明します。

「この文久土佐に来た時から、この街はなにかがおかしい気がしていたんだ。

…誰かにずっと見張られている気がする」

堀川国広はこんな違和感も口にしており、実際に大量の「目」が街を覆っているような描写もプロジェクションマッピングで表現されていました。

誰かに見張られているような気配が濃厚な、動き続ける迷路のような街。

まさに「生きている、変わり続ける街」が「文久土佐藩」の街の正体でした。

南海太郎朝尊は、この歪んだ歴史と不可解な街を生んだ犯人にたどり着きます。

「文久土佐藩」を生み出したのはこの街を支配する吉田東洋ではなく、刀剣男士たちと行動をともにしていたーーー坂本龍馬でした。

坂本龍馬の思いが生んだ「文久土佐藩」。放棄された世界に生きる岡田以蔵・武市半平太たちの正体が明らかに

はじめに違和感を自覚したのは、改変された歴史で跋扈する土佐勤王党の頂点に立つ吉田東洋でした。

「わしは誰じゃ…わしは吉田東洋のはずじゃ」

というような発言を繰り返す吉田東洋。

そして岡田以蔵は刀剣男士との戦いの中で「悲伝 結いの目の不如帰」に登場した「鵺と呼ばれる(時鳥)」を彷彿とさせるような容姿に変貌。

「文久土佐藩」で活躍していた歴史上の人物は、人間ではなく「朧の志士たち」だったことが明らかになるのです。

「朧の志士たち」は歴史人物の肉体では無く、時間遡行軍でもなく、刀剣男士に近い存在でした。

「悲伝」に登場した時鳥のように、誰かの強い思いがモノに宿り、人の形となった存在

副題になっている「朧の志士たち」とは、人間の強い思いが放棄された時間軸で変質を遂げた存在だったのです。

そして「文久土佐藩」という特命調査の舞台を生み出したのは、坂本龍馬が岡田以蔵と武市半平太の処刑を聞いたときに抱いた

わしが脱藩せんかったら…武市さんを説得できていたら…

という悔やんでも悔やみきれない、強い強い後悔。

歴史が変わり正史から切り離された世界で、その後悔の念は壮大な街という形となったのでした。

ひょっとしたら鑑賞されたファンの皆様の中には「なんだ偽物だったのか」とガッカリされた方もいたかもしれません。

しかし筆者はむしろ、坂本龍馬や岡田以蔵たちの思いが、当人のように生きているかのような存在を生み出す強い力を持っていたことに強く心を惹きつけられました。

実は先にこの文久土佐藩に来た刀剣男士たちがいたことも明らかになります。

文久土佐藩を跋扈する時間遡行軍の中には

物語を おくれ」

山姥切国広で呼びかける謎の遡行軍もいました。

悲伝で明らかになった「円環の理」の中で、折れてしまった山姥切国広たちなのか、三日月宗近に円環の果てで敗れた山姥切国広なのか…

その正体は今回明らかになりませんでしたが、「朧の志士たち」はたしかにこの地に来た刀剣男士たちを屠っていました。

また「朧」である本人たちも最初は自身のことを本当に「岡田以蔵」であり「武市半平太」であり「吉田東洋」だと思いこんでいました。

「あの時、こうしていれば」

という強い後悔の思いが、形となって、刀剣男士たちも敵わないほどの力を持つ。

ここに「朧の志士たち」という副題の意味があるように感じます。

「文久土佐藩」を生み出した人の心。目に見えない「思う」力が未来を変える

正史なのか、放棄された時間軸での龍馬なのか定かではありませんが、冒頭に登場した坂本龍馬は、きっと自分が殺されるまで同郷の仲間だった以蔵たちの凄惨な最期を悔やんでいたのでしょう。

一方、歴史を改変しようとする者と刀剣男士たちの戦いで、時間軸が複雑に分岐していく。

その思いは切り離された時間軸の中で増幅され大きな力を持ち、「朧の志士たち」を生み出したのではないでしょうか。

なにかを思うのは「」の働きですが、「心」の語源は一説によると「ころころ」変わるものという意味が元だそうです。

既に起こってしまったことへの後悔は、歴史を改変しようとする時間遡行軍の思想のように「「あの時、もし○○がこうしていれば……」というような様々な可能性を考え、心がコロコロ変わっていきます。

街の構造が目まぐるしく変わっていく生きた「文久土佐藩」の街は、さながら人の心が千変万化する姿そのものです。

龍馬が強い後悔を死ぬまで抱え続けた時間軸では、心は過去を変えたい思いに囚われたまま、コロコロ変わり続けたのでしょう。

そんな人間の目まぐるしく変化する「心」の姿を、深く見つめた哲学が仏教哲学です。

仏教では私たち人間の行いを「業(ごう)」と呼び、その業を大きく3つに分けて「三業」と教えられています。

身・口・意の三つで起こす「業」(ごう)のこと(仏教用語)

三業(さんごう)とはーーーコトバンク

食べたり飲んだりといった身体の行いを「身業」、口でなにかを話すことを「口業」、そして心でなにかを思うことを「心業」といいます。

仏教ではこの3つの中で最も強い力を持つのが「心業」、つまり心で何かを思うことだと説かれています。

例えば職場でパワーハラスメントをする上司など憎悪を抱く相手に対して「死んでくれたらいいのに」と思ったとしても、実際に殺すぞと脅迫したり包丁で刺したりしなければ、法律上の罪にはなりません。

しかし仏教では心で何を思ったかという意業が最も重要だと教えられます。

その理由は、口や身体は心で思った通りに動くのであり、心で思わないことを私たちが話したり行動したりすることは無いからです。

人間がやること為すこと全ての根っこにあるのが、心の行いだからです。

そして私たちの行いである「業」には目に見えない大きな力があります。

「自業自得」という仏教由来の四字熟語がありますが、良いことも悪いことも私たちが心で何かを思う行為は必ず結果を生み出す、強い力があるのです。

いくら悔やんでも結果は変わらないと分かっていても、あの時間軸で坂本龍馬が抱いた

「わしが脱藩せんかったら…武市さんを説得できていたら…」

という強い後悔。

その強力な業は放棄された時間軸で増幅し「文久土佐藩」を生み出すことになったのです。

坂本龍馬だけでなく、業が持つ強さは私たち人間すべてに共通するものです。

幕末の偉人だけでなく、令和の時代に生きる私たち現代人も同じ。

過去に縛られたまま、いくら悔やんでも変わらない後悔に苦しみ続けるのか

「朧」の坂本龍馬を討った陸奥守吉行のように、既に起こったことを受け入れ、未来を切り開こうという前向きな思いで生きていくか

どんな思いで毎日を過ごしていくかによって、数年後の私たちの未来は大きく変わるのです

仮初めの街でしかないはずの「文久土佐藩」が生み出した「朧の志士たち」。

存在の曖昧な魑魅魍魎であるはずの彼らは、かつてその街に来た他の刀剣男士を屠るほどの強さを持っていました。

人が「思う」力の強さを「朧の志士たち」は教えてくれているように思います。

 

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    ABOUTこの記事をかいた人

    獄上(ごくじょう)

    中学生でBL萌えに目覚めてしまい、腐女子になってはや15年近くの、筋金入りの「腐った」OLです。 三国志大戦が大好きで、大戦歴も気付けば10年以上に… 現在は『刀剣乱舞』にも夢中。 へし切長谷部と日本号、歌仙兼定や大倶利伽羅を中心に色んな組み合わせに萌えたり「活撃 刀剣乱舞」や「刀ステ」沼、「刀ミュ」沼の底で充実した沼生活(?)を送っております。 先月コスプレイヤーになりました。コスプレも沼が深くて楽しいですね! ★沼全開のTwitterはこちらです→@gokuzyo