新作「舞台『刀剣乱舞』慈伝 日日の葉よ散るらむ」の上演が始まった刀ステ。
「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」シリーズは、刀剣育成シミュレーションゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』を原作とするメディアミックス作品です。
紅白歌合戦や映画版で大きく知名度を上げている「刀剣乱舞」は2社によるアニメ化、ミュージカル化、そして舞台化と、様々なメディア部門に展開してきました。
そんな「刀剣乱舞」のメディア進出の中、2016年にスタートし、強い人気を維持しているのが「刀ステ」です。
前作「悲伝 結いの目の不如帰」の上演からちょうど1年、ファン待望の新作「慈伝 日日の葉よ散るらむ」が昨日から上演開始しました。
筆者は大阪と兵庫で鑑賞させて頂く予定ですが、今から待ち遠しくてなりません。
新作でも第一弾キービジュアルを飾り、これまでの「刀ステ」シリーズでも大きな役割を果たしてきたのが、山姥切国広とへし切長谷部です。
今回はそんな山姥切と長谷部が活躍する刀ステの名作「ジョ伝 三つら星刀語り」をご紹介。
新作「慈伝」の前に、ジョ伝が刀ステシリーズにおいて果たしている大きな意味を、改めて考えてみたいと思います。
【ジョ伝あらすじ】「ジョ伝」ってどういう意味?高い支持を得た、その魅力とは※ネタバレ注意
「虚伝」「義伝」「外伝」に続く「ジョ伝」。
上演開始まで、初となるカタカナの含まれたタイトル「ジョ伝」の意味が気になって仕方なかったファンも多いかと思います。
「ジョ伝」は第一部「序伝 跛行する行軍」と第二部「如伝 黒田節親子盃」の二部構成で、クライマックスには隠れタイトル「助伝」があり、すべて「ジョ」と読む漢字の物語3つで構成されています。
(Blu-rayに収録された作品「恕伝」も含めると4つになります)
「序伝」は主人公・山姥切国広をはじめとする刀剣男士たちが顕現して間もない頃に直面した苦難と苦い失敗が描かれる物語。
そして「如伝」では「序伝」の時間軸に現在の本丸(「義伝」と「悲伝」の間の時間軸だと思われます)に集う刀剣男士たちが遡行してしまうアクシデントが起こります。
「如伝」の山姥切たちは、「序伝」での己の過ちと向き合い、過去の自分たちを救いながら時間遡行軍を倒す使命を負うことに。
実は「序伝」で起こった数々の不可解な出来事は、「如伝」で未来の本丸から来た刀剣男士たちが自分たちを助けようと動いていた姿でした。
月日が経っても外見が年老いることのない刀剣男士の特性を活かした伏線回収が巧妙で、「ジョ伝」の物語は多くの観客を虜にしています。
前回のコラムでは「序伝」から「如伝」の伏線回収をご紹介。
ジョ伝の山姥切たちが教えてくれる、因果応報の意味についてお伝えしました。
※前回のジョ伝感想コラムはこちら(ネタバレご注意ください)
今回は刀ステシリーズ全体において「ジョ伝」が持つ重要な意味を考察し、ジョ伝が教えてくれる深い哲学をお伝えします。
ジョ伝「お守り」の謎 「悲伝」で明らかになる三日月宗近のループとの関係は?
ジョ伝の伏線回収の中でも、特にファンの間で話題になったのが「お守り」のシーン。
「序伝」では時間遡行軍に加担する人物・弥助に刀剣男士の山伏国広が一度折られてしまいますが、その直後に息を吹き返します。
原作ゲームのプレイヤーはピンとくる方が多かったようですが、この時の山伏は「お守り」を所持していました。
「お守り」とは刀剣男士が折れたとき身代わりとなる、審神者の力がこめられた特別な道具。
しかし山伏自身、自分が「お守り」を持っていることを知りませんでした。
何が起こったのか分からないまま帰還した本丸に、新たに刀剣男士が顕現します。
その刀剣男士は三日月宗近。
刀ステシリーズの物語の鍵を握る存在です。
三日月は顕現するなり、かつて同じ持ち主のところにあった刀剣男士・骨喰藤四郎に「お守り」を渡しました。
月日は経ち「如伝」で山姥切たちは再び小田原征伐の時代へ遡行、骨喰藤四郎は応援部隊として合流。
「序伝」の山伏の前に現れ、いきなり抱きつきます。
山伏「……どうしたのであるか?」
骨喰「……山姥切を頼む」
言葉数が少ない分、感情を行動で示したような骨喰ですが、実は山伏が驚いているスキにお守りを懐に入れていました。
長い月日を超えた、このお守りのカラクリは多くのファンを驚かせましたが、一方で大きな謎が残ります。
なぜ三日月宗近は、顕現するなり骨喰にお守りを渡したのか。
まるで「如伝」の骨喰が「序伝」の山伏を助けることを知っていたかのような三日月の行動は、ファンの間で大きな話題となりました。
その謎の答えは、昨年上演された「舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」で明らかになります。
刀ステで描かれる本丸の三日月宗近は、同じ本丸の時間軸を何度もループする「円環」の中にありました。
「俺は…未来を繋げたいのだ!
そのために、気の遠くなる時間をこの円環の中、過ごしてきた…!」
三日月が「繋げたい」と言う未来の姿は、「悲伝」では描かれませんでした。
しかしジョ伝で三日月がお守りを渡したのは、悲伝で明らかになった「円環」と大きな関係がありそうです。
「ジョ伝」に隠れた刀ステシリーズ全体に渡る伏線
他にも「ジョ伝」には他の刀ステ作品と繋がる重要な伏線があります。
一つは小夜左文字の成長、そして小夜と山姥切の関係性です。
3作目「義伝 暁の独眼竜」では、復讐の念に苦しむ小夜と、小夜の苦しみを取り除こうと苦悩する山姥切の姿が描かれました。
小夜と山姥切が悩み苦しむことになったきっかけは、4作目「外伝 此の夜らの小田原」に描かれています。
それはへし切長谷部が小夜に対して善意で言ったつもりの助言でした。
※こちらのコラムで詳しくご紹介しています。
しかし長谷部の言葉を知らない山姥切は小夜が苦しんでいることが分かりません。
苦労に苦労を重ねた末、小夜と山姥切は互いを理解し信頼関係を築き、小夜は己と向き合うため旅に出ます。
ジョ伝の第二幕「如伝」では旅に出ていた小夜が山姥切の窮地に加勢し、時間遡行軍をともに倒すことに成功。
「外伝」「義伝」での山姥切と小夜の苦労が「ジョ伝」で大きな結果として報われる形になるのです。
また小夜が悩みを抱えることになったきっかけの仲間・へし切長谷部は「外伝」で自分の最も大きな弱点を知ることになります。
「あの男は、
命名までしておきながら、
直臣でもない奴に俺を下げ渡した。
だから俺は……」
「外伝」では時間遡行軍が生み出した「山姥」が、刀剣男士の「惑い」を増幅させました。
山姥によって、長谷部は見ないようにしてきた自身の弱さである、信長への執着心を突きつけられることになります。
そして「ジョ伝」ではその信長が自身を下げ渡した相手・黒田官兵衛、そして長谷部にとって忘れえぬ主であり、官兵衛の息子である黒田長政と邂逅。
モノであった時は言葉を交わすことのできなかった黒田長政と「如伝」で相まみえた時、長政は
「なんという巡りあわせだ!
そなたとこうして会えること光栄に思うぞ!」
と、まるで最愛の家族のように抱きしめてみせます。
長谷部は歓喜のあまりフリーズ、その姿からも「あの世があるならばついて行きたかった」と言っていたほど大切な元主が長政だったことが分かります。
歴史を守り、官兵衛による歴史改変を阻止するため、長谷部はその後長政と共に小田原で行動、過去の自分たちと歴史、そして長政を守ってみせます。
「今、そなたを召し抱えている主は、さぞ果報者であろう。
そなたのような刀をひと時でも得られたことを誇りに思うぞ」
下げ渡された先で出会った主、長政にこれだけ愛されていながら、信長に執着し続ける己の弱さをジョ伝で知らされた長谷部。
「過去に囚われ続けるのは、もう終わりにしなければならない」
いつまでも過去に囚われた自分を乗り越えようと「悲伝」で修行に旅立ちます。
長谷部が帰ったのは、時間遡行軍が本丸に奇襲をかけ、主に絶体絶命の危機が迫った瞬間でした。
それは過去に囚われ続けてきた長谷部が、未来を守るため戦う戦士に成長した瞬間でもありました。
「序伝」と「如伝」だけじゃない!シリーズ全体に渡る「ジョ伝」の因果律
「ジョ伝」は同じ小田原征伐での任務という時間軸が、過去と現在で繋がる伏線が大きな話題を呼びました。
しかし繰り返し鑑賞させて頂く内に、「ジョ伝」の伏線はもっと広い時間のスケールで展開されているように見えてきます。
「義伝」と「外伝」で山姥切国広と小夜左文字が、お互いを理解しようと悩み抜いた結果が「ジョ伝」で実る。
「外伝」「ジョ伝」で己の最大の弱さを知ったへし切長谷部が、「悲伝」で結果として本丸の未来を守る。
シリーズ全体に渡る伏線回収が、ジョ伝を軸に展開されているのではないでしょうか。
哲学には「因果律」という原理があります。
どのような事象もすべて何らかの原因の結果として生起するのであり、原因のない事象は存在しないという考え方。因果法則。
(大辞林 第三版)
簡単にいうと、どんな結果にも必ず原因があるということです。
仏教はこの因果律を徹底的に教えており、良いことも悪いこともすべては自分がやったことの報いと説かれています。
しかし努力や苦労した結果がすぐに出るとは限りません。
努力や苦労を重ねても、結局は生まれつき容姿や能力に恵まれた人が得をするように見えることは多々あります。
しかし仏教には「三時業」という言葉があり、「努力しても無駄」という考え方は近視眼的であると説かれています。
仏語。善悪の業を、その結果を受ける遅速により3種に分けたもの。
生きているうちに果を受ける順現業、次に生まれ変わって受ける順次業、次の次以後の生に果を受ける順後業。
因果律はこの世すべてのことに当てはまります。
たとえすぐ結果が現れなくても、人知れずやった良いことも、バレなかったズルい行いも、その報いは必ず現れるのです。
「順次業」は次に生まれ変わった世界で受ける結果、その次に生まれ変わった世界で受ける結果を「順後業」と仏教で教えられます。
しかし今の人生だけでも、忘れた頃に受ける結果は無限にあるでしょう。
なぜなら、1年前、いや1日前にやった自分の行いすら私たちはすべて正確には覚えていないからです。
「序伝」から「如伝」への伏線回収という形で明らかになった因果律は、観客の私たちは同じ作品の中で原因と結果が現れているので、因果関係が分かりやすく、驚かせられる展開でした。
しかし登場していた刀剣男士たちにとっては、はるか昔の苦労や失敗が、長い月日を経て自分たちに勝利をもたらすという流れになっています。
如伝の終盤で、へし切長谷部が
「……俺たちを助けたのは俺たち自身だったのか……」
と気づく場面がありますが、数年経って実った努力の結果も、中々気づきにくいものなのです。
【悲伝ネタバレ注意】「円環」を繰り返す三日月宗近が知っていた?へし切長谷部の過去と未来
「……山姥切よ。
まだ焦る時ではない。
じっくりと畑を耕し、種を植え、実りの時を待つのだ」
小夜の悩みを聞き出せずに思い悩む山姥切に、「義伝」で三日月はこう言っています。
「ジョ伝」でも三日月は、大きな挫折を味わった山姥切と長谷部を影で見守りながら、間接的に「お守り」の伏線で助けています。
「悲伝」では三日月のこうした不可思議な行動は、本丸のある時間軸を三日月が円環していたことが背景にあったと明らかになりました。
「じっくりと畑を耕し、種を植え、実りの時を待つのだ」
という三日月の言葉は、山姥切が経験した挫折も、「如伝」で小夜が山姥切の窮地を救ったようにいつか必ず結果が現れることを知っていたからなのでしょう。
小夜や長谷部の成長に代表されるような「ジョ伝」で回収され、「ジョ伝」から展開されていく因果律は、刀ステシリーズの重要な鍵を握っています。
刀剣男士たちも、ファンの私たちも気づかない因果律がまだまだ「ジョ伝」には隠れていて、今後の作品で明らかになっていくかもしれませんね。
刀ステシリーズの主人公である山姥切国広は「義伝」から「ジョ伝」で、大切な仲間、小夜が苦悩の末に成長する姿を見届けます。
そして「ジョ伝」から「悲伝」で、ライバルのような存在である長谷部が、大きく変わっていく姿を目にしました。
新作「慈伝 日日の葉よ散るらむ」では、刀ステの山姥切国広が乗り越えてきた試練や苦しみ、そして悲しみが、三日月の言う「実りの秋」となって返ってくるのかもしれません。
キービジュアルでは清々しい青空が印象的な「慈伝」。
「悲伝」で大きな悲しみと戦い続けた山姥切に待つ未来は、どんな実りの季節なのか。
新作公演を楽しみにしながら、「ジョ伝」考察コラムを締めたいと思います。
※記事中の台詞紹介はこちらから引用させて頂きました。 (より深く刀ステの感動を味わえるので是非読んでみてください)
末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜」ニトロプラス
末満健一(2018)「戯曲 舞台『刀剣乱舞』ジョ伝 三つら星刀語り」ニトロプラス