「貴族に生まれて恥ずかしい!」ワンピース・サボの言葉にこめられた“豊かさと幸福感”の関係

昨年は「20代仏教」でONE PIECEの記事を書くという新たな試みをさせてもらい、本当に多くの方から声をかけていただきました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、ONE PIECEの記事もいよいよ第10弾です。一応全12回シリーズで構成しており、今回も含め、残すとこ3回となりました。今回、そして次回は「私たちにとっての幸せとは何か」について考えてみたいと思います。

ゴア王国の4つのエリア

ルフィの出身地と言えば「フーシャ村」ですが、それは「ゴア王国」という国の片隅にある村です。

ゴア王国には大きく分けて王族や貴族の住む高町一般人の住む中心街チンピラや不良の住む端町、そして最下層ともいうべきゴミ山と呼ばれる「グレイ・ターミナル」という4つのエリアがあります。階級がはっきり分かれている国なのです。

ルフィは幼少期をエースサボという2人の少年と過ごします。エースもサボも身寄りがなく、エースとルフィはコルボ山に住む山賊の元で、サボはゴミ山で寝起きをし、3人は共に切磋琢磨し合いながら逞しく成長していきました。

明かされたサボの本当の生い立ち

ある日3人で中心街に出かけて行ったときのこと、そこでサボを呼び止める一人の貴族の男に出くわします。どうやら男はサボを知っている様子。ところがサボは、男の呼びかけを振り切るように一目散に町を去ってしまいました。

何かを隠していると感じたエースとルフィがサボを問い詰めると、彼は観念したように自分の身の上を語りました。

それまでサボは、自分はゴミ山で生まれた孤児だと話していましたが、実は両親は健在で、その上高町で生まれた貴族の息子だったのです。町でサボを呼び止めたのは、まごうことなき彼の実の父親でした。

幸福なはずの家を飛び出したサボの心情

サボの打ち明け話を聞いたエースは「事によっては俺はショックだ」と言います。貴族に生まれるということは幸福の星の下に生まれるということ。着るモノも、食べるモノも、住むところも、何不自由ない生活が約束されているのに、なぜわざわざ最下層ともいうべきゴミ山で寝起きをしているのか。

孤児で、コルボ山とゴミ山を往復する毎日を送るエースには、サボの行動が到底理解できなかったのです。否、エースだけでなく、ゴミ山で暮らす人々にとってはバカにされているのかとさえ思うでしょう。

しかしもちろん、サボはそんなつもりでゴミ山にいたわけではありません。サボは高町での生活にずっと疑問を抱いて暮らしていました。

両親は自分の「地位」と「財産」を守ることしか頭になく、そのためにサボには「出来のいい子」でいることを強要しました。勉強に習い事、そして地位の高い王族の娘と結婚をすること。絵に描いたように順調な人生こそ幸せだと信じて疑わない貴族たち。両親がいても、ずっとサボは独りぼっちだったのです。そしてサボは後に貴族たちに対してこう評価をしています。

・・・この町はゴミ山よりもイヤな臭いがする・・・!人間の腐ったイヤな臭いがする。ここにいても、おれは自由になれない!!おれは・・・貴族に生まれて恥ずかしい!!
(第586話「悪臭のする町」より)

誰もが羨むような恵まれた生活も、サボにとっては決して幸せではありえませんでした。

恵まれた人も悩み・苦しみを抱えている

私たちは、モノが「無い」よりは「有る」方が幸せだと思って、日々いろいろなモノを求めて暮らしています。しかし、モノに恵まれた人もまたそれなりの悩みや苦しみを抱えているのです。

高町とゴミ山、どちらで暮らすのが幸せかと言われても、なかなか答えは出ないかもしれません。むしろその中間、ほどほどがいいよと思う人も多いでしょう。

ただ考えてみると、私たちの生活というのはまさにその中間の暮らしなのではないでしょうか。比べる対象によっては、高町と変わらないような暮らしをしているのかもしれません。実際、百年前の一般庶民と現代の私たちの生活水準を比べると、当時の王族・貴族との差以上の開きがあるそうです。

そんな恵まれた暮らしをしている私たち、心の底から幸せだと胸を張って言えるでしょうか?

実際、2014年に米シンクタンクのピュー・リサーチセンターによって行われた世界各国の「幸福度」調査で、日本は先進国で最下位でした。GDPはアメリカ、中国に次いで世界3位であるにもかかわらずです。豊かさに幸福感は伴わないとわかります。

日本人の「幸福度」は先進国で最下位 「幸せはお金で買えない」国民性なのか日本人の「幸福度」は先進国で最下位 「幸せはお金で買えない」国民性なのか

これは1つの指標であって、すべては測れません。しかし日本は先進国の中でも自殺率が高く、年間3万人に達します。さらに最近では、自殺者は3万人どころか、その6倍ではないかという見解まで出ています。

隠された真実:3万人どころじゃない!本当の自殺者数は18万人!? – NAVER まとめ 隠された真実:3万人どころじゃない!本当の自殺者数は18万人!? - NAVER まとめ

「自殺するのは生活に困窮している貧しい人たちであって、恵まれている人は自殺しないだろう」と思う方もおられるでしょう。ところが、フランスの社会学者エミール・デュルケームは「貧しい農村の農民よりも、豊かな商人のほうが自殺率は高い」と記しています。

デュルケーム「自殺論」のアノミーについて(前半) – 日々の日記

有っても無くても変わらないモノ

仏教には

有無同じく然(しか)り。憂き思適(まさ)に等し。

と説かれています。

これは、有っても無くても、幸せになれていないことに変わりがない、ということです。私たちは多くの場合、モノやお金が無い状態から有る状態になれば幸せになれると思っています。だから一生懸命仕事をしたり、勉強したりして望む生活を手に入れようとします。

しかし、手に入ったら入ったで別の問題に悩んだりするのです。例えば携帯電話などはそのいい例です。無いときは周りの人との連絡手段がなく、不便で仕方ないのですが、手に入れたら入れたで休みなく仕事の電話がかかってきたり、相手とのメールやLINEのやり取りにやきもきしたり。煩い、悩むことが多くなります。

有る方が幸せか、無い方が幸せか。実は私たちが幸せになれない理由はモノが有るか無いかの問題には依らないのです。食事もロクに食べられない、娯楽も全くない「無い」状態はとても幸せとはいえませんね。しかし一方でサボは、家族もいる、お金もある、衣食住に困らない「有る」状況なのに、幸せではありませんでした。

このように、いろいろなモノを求めているのに手に入れても幸せになれないのは、心が満たされていないからなのです。病気になったときは、どんなに自分の好物を並べられても美味しく食べられませんが、ひとたび健康になったならごはんに漬物だけというようなどんな質素な食事でも美味しく食べられます。心から幸せになったなら、モノが無くても幸せですし、サボのようにたくさんのモノを持っていればなお幸せという身になれるのです。

仏教では幸せになれない本当の原因はモノの有る無しではなく、「心の病気にかかっているから」と説かれています。この病を治してこそ、心豊かに生きることができるようになるのです。

まとめ

私たちの幸せは、モノの有る無し、モノが豊かであるかどうかでは決まりません。心そのものを豊かにすること、これが何より肝心です。

目の前にある幸せもいいけれど、一歩進んでもっと深い幸せについて考えてみましょう!きっとあらゆるものが輝くはずです。